WasatchFront100 2019_ワサッチフロント100 2019

9月4日、ワサッチフロント100Miles 4oth 2019大会2日前にユタ州ソルトレイクシティーにやってきました。初日は、そのままホテルに向かい、近所で食事を済まして早めに寝ました。

到着するまで知らなかったのですが、ソルトレイクシティー(SLC)には、たくさんクラフトビールの醸造所がダウンタウンに散らばっていました。その場で飲むと値段も1パイント5ドルとNYと比べると約半値。何件か試しましたが、どこも美味しかったです。ブルリュワリー周りが好きな方はすごく楽しめると思います。

SLC2日目は朝から昼まではレース用に必要なものをドラックストアやモールに買い足しに向かいました。ダウンタウンはどこまでも平地なので歩いて大概の場所へ行けます。移動用レンタルモペットがあって、何度か使ってみましたがだいぶ便利です。歩きたくない人にはオススメです。タクシーの流しはあまりみなかったですが、ウーバーもリフトもありだいぶ便利です。あと路面電車も走っています。ダウンタウン内は無料のようでそれよりも遠くなると2.5ドルと言っていました。

昼12時から大会前日レース受付、16時からレースミーティングがスタートします。 SLCに着いてからの3日間とも、35度を越すような温度で、この暑さで本当に大会の間、大丈夫なのかと思いましたが、ベテラン選手と話していたら山の上は約5度から10度は低いと言っていましたが、それでも中盤の山_Big MountainからLambs canyon(約21.6kmの区間)までは日が出ていると全く太陽の陽を遮断するものがないので、体感で40度くらいになる年もあると言っていました。去年はそこで約50人は熱中症でリタイアしたそうです。

レースの際、サポートがついてくれる方々は、エイドにてサポーターから手助け補給などしてもらえるのですが、サポーターがいない人やサポーターの入れないエイドには皆、ドロップバックといって、個々の必要なものを入れたカバンを置けます。その中に継ぎ足すジェルや固形食、着替えなどを入れておきます。僕も今回は最大限のドロップバック、計8個のカバンを用意して挑みました。計算道理にいけば良いのですが間違えると補給のタイミングをずらしますがこの時点では誰にもまだわかりません。

14時過ぎ頃、大会手続きに向かい16時ジャストにミーティングが始まりました。この大会は携帯必需品のチェックがありません。基本、自分の責任で山には入ってくださいというスタンスのようです。今年は大会が始まって40周年の記念大会らしく、初期に走ったベテランランナーの方々が通常制限時間36時間のところ、40時間まで伸ばして、挑戦するレースも同時に開催されていました。最高年齢は74歳。本当に超人。

アメリカの100マイルレースは初めて参加しますが、とてもゆったりとリラックスした形で手続きも大会説明も進みました。ミーティングは要するにリタイヤする際は正式にエイドステーションでちゃんとリタイアしてから家路についてくださいということを告げたかったようです。すんなりとミーティングが終わって、近所のメキシカン屋でブリトーをテイクアウトして、そのままホテルへ戻りました。時差ボケも重なって眠気がきたので、8時にはベットへ。

大会当日朝2時半起床、チェックアウトの用意と膝と足首のテーピングを済ませて、徒歩3分ほどのバスピックアップ場所へ、乗る前に大会のチェックインを済ませ、出発4時ジャスト。

30分ほどバスに揺られ、ワサッチ山脈の北側、レースのスタート地点、East Mountain Wilderness Parkに到着します。着いてから5分くらい山を登り歩き、スタート地点へ。最終的にトイレを済ませに暗闇に、先にいる方々と遭遇してびっくり、アメリカ人基本的にその辺でトイレは済ませます。

緊張はさほどせず、興奮の朝5時スタートとなりました。

レース初めは、まだ日も上がらず薄暗い丘の道を緩やかに登ったり、下ったりを繰り返して少しずつ標高を上げていきます。集団もばらけ、自分のペースになってきた時のくだり道、暗くてみえなかった石に足がはまり、勢いよく右足首をひねってしまいました。結構ひどかったので一旦止まり大丈夫か確認、少し痛みはあるけど走れないことはない。テーピングしていたのでなんとか酷くならなかったようです。(Newhareありがとうございます)結構慎重に進んでいたにも関わらずのアクシデント、痛みが出ないことを祈りつつ。まだ数キロしか走っていないのにって思いながら再スタート。

もう少し進むと約1500Mから約3000Mまでの急登が始まりました。急がず着々と進むのですが、地元の方々の足取りはしっかりとしているのとは対照的に、自分の足元はいつもの調子と違い、なんだか非常に重い。登れば登るほど足が重くなってきて、2500m付近でとうとうほぼ走っていないのに両太ももの筋肉が攣り始める、しかも強烈に。完全に酸素が足りていない証拠。高山病の症状です。息をゆっくりしたり、塩分サプリとったり、水を飲んだりしますが、定期的この鋭い脚の攣りがやってくる。大丈夫か自分。

そんな登りをようやく終える頃、太陽が一瞬見え隠れしていると思ったら、雨が降り始めてきました。この大会は乾燥して暑いっていうのが有名でしたが、雨が降ってくるとは思いもせず、しっとり涼しく僕的にはホコリで鼻も出ていたので天からの恵み的な雨でした。その雨はそこから約1000M下り10km先のGrobben’s shed ウォーターステーション(水だけのエイド)まで続く、やはり標高が高いので雨も冷えていて、レインジャケットを出してしっかり保温防水で進む、筋肉の攣りの余韻はあるけど、先ほどまでの激痛で動けなくなるようなことはなくなってきましたが、まだ20kmほどしか走っていないのに、早くも筋肉痛のような状態が両太ももにありました。

Grobben’s shed WS 以降、雨は止み、一気に太陽が出始めました。しかし土は水を受けドロドロで所々に水たまり、こんな状況はほぼないらしくみんな下りで足を取られて大転倒。赤土の泥で靴にへばりついてくる厄介な土でした。そんなドロドロの道で転倒しながら8kmほど進んだ先に、一番最初のエイドステーション: Boutiful B AS (27.5 km地点) がありました。

アメリカのエイドステーションのボランティアの方はすごく優しいです。僕のようにサポーターがいない方には寄ってきてくれて何かすることないかと率先して聞いてきてくれます。最初は躊躇していましたが、水の入れ替えや、日焼け止めを塗ってもらったりするのを手伝ってもらうようにしました。そのほか、食事を取ってきてくれたり、テーピング変えるのを手伝ってくれたり、本当に優しいですよ!! 着替えと補給をしてエイドを出発、ここから次のエイドswallow Rocks ASまでは意外とすぐにつき(約8km)、補給の水にも氷を入れて、常時首に巻いている手ぬぐいにも氷をかまして、もう一山約10kmを超えて、次のエイドBig mountain Pass AS(52km地点)へ。ここもなかなか大きなエイドステーションで。充実の食べ物、特にアイスキャンディーは生き返りました。靴下を変えたら気持ちも足もリフレッシュできました。

ここから中盤の正念場、全く陽の隠れる場所のないエリアに突入です。 約12kmのアップダウン、標高は常時2000mを超えていて、なかなか体も重い、ペースをなるべく変えないように進んでいきました。

まだかまだかとノボリクダリを進んでいた時、事件が。
シングルトラックのくだり道、左へ降りていく見通しの悪いところ。僕はなかなか良いペースで走っていたのですが、急に見えたのはお尻を出した女性が目の前に!びっくり彼女と目が合った瞬間に右足を取られ、また同じ足首をひねってしまいました。今度は右手のポールの先が折れるという致命打とともに。数時間前のあの痛みがしかも同じ箇所、今度は本当にダメかと思ったのですが、意外にも立ち上がれたので、良かったと思いましたがやはり痛みが増え、折れたポールは後半の山どうしようか考えつつ、平謝りの彼女には軽く話しをして、気持ちを切り替えて一本のポールで進むことに。

夕暮れ時(本当の予定ではまだ夕暮れ時でない時に到着する予定でした)の黄色い太陽が地面を黄金色に照らしている中、64.5km地点、Alexander Ridge AS へ到着、ここのエイドの方々は本当に優しくて涙が出そうでした。ポールが壊れたことを伝えたら、なんとかやってみるよって預かってくれました。補給を済まして出発する頃には、ダックテープで治ったポールを渡してくれました。本当に感謝です。

陽も完全に落ち始めて、一気に温度も落ち始めました。
当初予定していたペースではないもののなんとかゴールできるようなペースをキープしていたのですが、この頃から少し時間の感覚がおかしくなっていたようで、ようやく着いた72キロ地点、Lambs Canyon ASでは時間を取り過ぎていました。ハンバーガーなどを食べて気づけば、出発時間が夜9時を回っていました。これは遅れています、、。

ここから次のエイドまでは、淡々と舗装路を15kmほど登っていきます。
標高もどんどん上がってきて、2500Mくらいまで一気に登っていきます。川がずっと横を流れているのでどんどん温度も下がっていき、保温のため持っていたフーディニとレインウエアを重ねてきていました。ようやく着いた、Upper Big Water AS (87km地点。)大音量で流れるグレイトフルデットの音楽に元気をもらい。足のテーピングを変えてすぐに出発。もう時間が足りない,,,ここから6.5kmは山により入り、3200Mくらいまで登らされます。山道を黙々と登って、そこから次の Desolation lake AS (96km地点)まではアップダウンは続くが下り基調、走れる道。少しスピードを上げて進みます。到着した Desolation lake ASの係りの方に、もうほとんど時間がないと告げられました。走ったら間に合うかと聞いたところ、いけるはずと言われましたので、気持ちを高めて休まずに二つ先のエイド(約12km先)、Brighton AS (108km地点)まで頑張ってみることに。6:30am の関門突破時間までに間に合わす!!
現時刻は3:30am。
彼女いわく、200メートル登って後はずっとダウンヒルだと。
2600Mくらいまで上がって、そこから1800Mくらいまでずっと下ったところにありました、Brighton AS !

温度はだいぶ落ちていておそらく体感で10度以下だったと思います。
明け方5時45分について、6時半までに出発しないといけない状況でした。
この前3区間でだいぶ脚を使っていたので結構、放心状態でした。

足のテーピングの変えを手伝ってくれて、温かいものを体に入れ、ここから一気にまた3200メートルまで約600Mの登り。暖かいエイドステーションから出てきた体は冷え切った山の温度に一気にやられた。手元にあるものすべてを着て朝日が上る中、頭は少しボーとしていましたが、少しずつ前に進んでいきますが、なんだか前に進んでいないような。約3km進んだあたりからようやく本格的な登りになろうとした時。前から降りてくる、ペアが話しかけてきました。男性は60代くらいのアメリカ人、彼はペーサーらしい。その後を体が完全に冷え切って震えているアジア人の女性。男性曰く彼女は日本人。彼の息子の奥さん。そのまま僕は進もうとすると彼が一言。そのスピードでは決して次の関門に間に合わないと忠告されました。彼はこのレースを13回完走しているベテランランナーで今回は、義理の娘のグランドスラム(グランドスラムというのは、アメリカの中で最も歴史の古い4つの100マイルレースを2ヶ月半で完走するという大会)達成のためにペーサーに入ったようです。彼女も3度目のワサッチでしたが、去年から沖縄に拠点を移していたようで、今回は本当に高山病に悩まされていたようで。最終的に震えが止まらなくなりDNFを決定したようです。

そのように諭されるといろいろな気持ちは湧いたものの僕も決断を下すことにしました。

また戻ってこようと。

約69miles地点(111km地点)にて、僕の初100マイル完走はお預けとなりました。

まだ悔しさなど出てこない状態のまま、今来た約3kmの道のりをひとつ前のエイドまで二人と一緒に歩いておりました。

DNFの手続きを済ませた僕は、ゴール地点まで、すべてのドロップバックをピックアップしに向かいました。

なかなかこないドロップバックを待っている間に、前半ペースが一緒だった方のペーサーが僕のことを覚えていてくれて話しかけてくれました。よく頑張ったねって、しかしゴールできなかったことを告げると、 『Today is Mountain’s day and next time will be yours!!』て拳を合わせてきてくれました。悔しさより戻ってこようと再確認。

最高の山に、素敵な人々、本当に僕の好きなアメリカの残ったレースでした。抽選倍率は大変高いのでいつ戻ってこれるかわかりませんが、またいつか走ってみたいと思います。

長らくお付き合いいただきありがとうございます。
アメリカの100マイルレースに興味のある方に少しでも参考になれば大変嬉しいです。

最後に!
レース後の夜、寝る前まで気づかなかったのですが、案の定、右の足首は、象さんの足首のようになっていて、ひどいむくみと捻挫による足首の腫ればひどいものでした。スニーカーは全く入らない状態でした。 この状態でもう2つ山を乗り越えていたら怪我はもっとひどくなっていたかもですね。そこは止めていただいた彼(Ernieさん)に本当に感謝です。

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AKIRA YAMADA 山田 陽

AKIRA YAMADA 山田 陽

フォトグラファー。1998年よりNYをベースに活動。近年は東京との往き来も多くなり、雑誌、カタログ、広告の撮影に携わる。次回の展示の製作開始。
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