India_Train2009/March

インドのニューデリーに着いた翌日の夜、最西都市ジャイサルメールへ向かうため、夜間列車に乗り込みました。自分達の寝台につき、一息ついているとあれよあれよと人がどんどん乗ってくるのです。4人用の席のはずがゆうに20人くらいは同じ場所にいた気がします。一体どういうことなのか把握できないまま、列車は走りだしました。身動き取れない状況に戸惑っていた自分の気持ちを吹き飛ばすように目の前に現れたのはスラム街でした。暗く終わりの見えない街は、そこから約一時間、車窓から見えていました。辺りは真っ暗のまま進んでいき、スラム街がそろそろ終わる頃、列車のスピードが緩やかになりはじめ、僕らの周りにいた大勢の人達は、煙に巻かれるように次々と列車から飛び降り始めました。列車が駅に着く頃には、4つの寝台には、友人と僕、そしてもう一人の方が本来あるべく自分の席に座っていました。なんだか唖然としていましたが目の前にいた方に話を聞けば、チケットを持っていない人達が集まって座っていたということでした。 当然のように話す彼の口調に僕らも当然のことだったのかとなんだか納得していました。ガランとした寝台列車は、その駅を何もなかったように出発していきました。

西へと進むその列車は、終わりがないのではないかと思うほど、淡々と線路を進んでいくのでした。

暇になった僕らは、一緒に乗り合わせた方達に話し始めました。どうやら皆兵士のようで、軍事施設へ向かっている途中でした。二人の日本人と数百人のインド軍人を乗せた列車は、20時間以上かけて、砂漠の真ん中にある、ポカランという駅に到着しました。そこで軍人達は皆降りていきました。このポカランという場所は、インドが核実験をおこっていた軍事施設であるということを知ったのは、アメリカに戻ってからでした。

より閑散とした車内で、ヘッドホンで音楽を聴きながらいつになったら、この砂漠列車は終点に着くのかなあと熱風と砂を顔に浴びながらボーと考えていたのを、 共にその地へ向かった友人宅に泊まっている、東京の地でさっき思い出しました。

AKIRA YAMADA 山田 陽

AKIRA YAMADA 山田 陽

フォトグラファー。 1998年よりNYをベースに活動。 近年は東京との往き来も多くなり、 雑誌、 カタログ、 広告の撮影に携わる。 次回の展示の製作開始。
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