サンディー:

迫ってくる数日前までは、あまり大きな取り上げ方をされなかった、ハリケーンサンディー。

ニュージャージーへ接近する前日の朝、パブリックラジオをいつものように聞いているとラジオジョッキーは、興奮気味にサンディーについて語っていました。

“30年ぶりのパーフェクトストーム” であることと、その夜の午後7時から公共交通機関がすべてストップするということを。

そんな話を寝ぼけ気味に聞いていた僕は、これは本当にまずいなと自分に言い聞かせました。

日本からの編集者を迎えて進めていた計7日間の撮影は、3日目を過ぎる頃でした。 もちろんまだまだ撮影は終わっていませんでしたが、それどころではないといった雰囲気を街中が漂わせていました。

午後7時の最後の電車を逃す前には、皆自宅に帰宅しようとしてか、昼過ぎのマンハッタンには人通りは少なく、足取り早く用事を済ませるといった様子でした。

雨も降ってきましたし、風も強くなってきたので、僕らも早々に仕事を終え、家路につきました。

その日の夜から続いた強い風と雨は、翌日も続き、夜の8時にニューヨークに最接近した際に、自宅でもテレビ、インターネットが止まりました。

幸いにも、僕の住むエリアでは、停電、ガスが止まったりするといったことはありませんでした。しかしながらすぐ隣りのレッドフックエリアでは完全に水浸しになった場所が多くあり、現在に至るまでガス、電気の復興ができていない場所もあるようです。

おおまかな被害などは、日本でもニュースなどでも取り上げていますので伝わっているかと思います。

ハリケーンが通り過ぎた翌日、仕事は一応、再開される事になり、マンハッタンへ向かう事になりました。交通手段は歩きとタクシーかカーサービス。運良く駅一つ分、歩いたところでタクシーを見つけ、集合場所であるディーン&デルカの前に着くと、そこには全く作動していないソーホーがありました。

警官か、暇を持て余した観光客があてもなく歩いている光景が、何だか気味悪く感じました。

無事に編集の方達と再会し、仕事を再開させるべく、電気の通っているミッドタウンより北を目指し、歩き始めました。

29丁目あたりから電気はつきはじめ、34丁目を越えると通常と全く変わりない世界が広がっていました。何だかだまされているかのような光景に常時、自問自答をしていたような気がします。

次の日には、日本へ戻られる編集の方は心情的に本当にやるせなかったはずです。撮影なかばで終了し残りは状況が落ち着いたら、僕とコーディネーターの方で進めようという事になりました。

翌日、久々に近所を歩いてみると何本も大きな木が、道を塞ぎ、車を押しつぶし、金網をなぎ倒していました。

新聞やテレビでは海岸線の被害、津波や火事での被害の様子を次から次へと運んできました。

僕もサーフィンをさせていただいたロッカーウェイのビーチエリア、ボードウォークなどは完全に流されたようでしたし、いつも皆で通っているロングビーチのあたりも多大な被害を受けていました。今までのような素敵なボードウォークやビーチはいつになったら、元のように戻るのでしょうか?本当に心苦しいです。

実働ではボランティアに参加できない状況でしたので、炊き出しや寄付に行く方達に便乗させていただき、着るものやマフラー、帽子などを集めたものを持っていっていただきました。少しでも役に立っていただけたら嬉しかったのですが。

ハリケーン後、一気に冷え込んできたニューヨーク、寒い日が続いていく中、避難生活をしている方達が早く通常の生活に戻れる事を願っております。

一週間の遅れを取り戻すかのように街も自分も大忙しでした。

オバマ大統領再選も決まり、気づけば、来週はサンクスギビング、みなさんがそれぞれ家族や友達と、ゆっくりと美味しいご飯を食べれると良いですね。 

AKIRA YAMADA 山田 陽

AKIRA YAMADA 山田 陽

フォトグラファー。 1998年よりNYをベースに活動。 近年は東京との往き来も多くなり、 雑誌、 カタログ、 広告の撮影に携わる。 次回の展示の製作開始。
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