#85
15歳下の知人からLINEがきた。
神泉で飲んでる、状況はカオスだ、と。
知人と書いたのは、もしこの誘いに乗れば会うのは2回目になるからだ。
15歳下の知人とは、ふらりと入った渋谷東の飲み屋で話したのがきっかけだった。ミュージシャンである彼のバンドを、僕のメディアでも取り上げさせてもらったことがあったから、なんだか嬉しくなっていろんな話をしてしまったのを覚えている。街の飲み場のカウンターで肩を並べれば、みんなおんなじ。一人の人間として、楽しいヤツなのかいいヤツなのか、それだけが重要。(たぶん)意気投合して連絡先を交換したのだった。
神泉で飲んでる、状況はカオス。うむ。
場所も遠いし(僕は五反田の事務所にいた)
会うの2回目だし
カオスだし(ということはもっと知らない人がいっぱいいると予想した)
こんな時間だし(23時すぎぐらいか)
直感に従い、行くことにした(笑)。
結果から先に申し上げると、家路についたは朝の7時ごろか。
いや、単に飲みすぎたという話がしたいわけではなくって
残っていたのはお酒ではなく
旅から帰ってきたような感触だった。
朝まで飲み歩くのは何千日と積み重ねてきたけれど
この心の手触りは初めてだったかもしれない。
生まれ育った場所を離れ、仕事をして、自分の居場所をもって
これから先のことや今の自分のこと、好きな人のことなどを
日々考えながら生きてるそれぞれの人たちが「今日」出会った。
偶然居合わせた人たちの人生が、「今日」クロスしたのだ。
そんな人たちと歩幅を合わせて街を歩き、酒場を転々とする。
たったこれだけのことなんだけど
僕はいつもの神泉や奥渋谷や富ヶ谷の街が
あたらしい景色に映った。
実はひそかに昨年ごろから自分に課しているテーマがあってひとつは、直感に従ってみること。
ふたつめは、人は皆(もちろん自分も)同じ1本の人生のラインの上を歩いていることを意識してみること。
つまり、年齢や職業、性格や個性関係なくどんな人たちも、同じ1本の人生というラインの上を歩いていて先を
歩いていたり、ちょっと歩くのが遅くて後ろのほうにいたり人それぞれなんだけど、でもみんな同じラインの上を
歩いていることをイメージしてみることだ。
相手をみて態度やスタンスを変えたりするのではなく
ああこの人も僕とおなじ1本のラインを歩いている仲間だと感じること。
すると、なんだかうまくいくのだ。
同調することもマウントとることも卑下することもない、気持ちいい時間がはじまる。
旅先では出会いの連続だ。
見知らぬ街で、初めて会う人たちと言葉を交わしたその瞬間、人生がクロスする。帰ってきたとき、
またあの街に行きたい、あの人たちに会いたいと思う。
あの夜は、旅することに似ていた。
いつもの東京の夜が、違って見えたのはそのせいだ。
いつもと違って見えた街から見上げた空の月が
やけに綺麗だった。