#24

東京で新年を迎えたその足で鹿児島へ。
正月はずっと家族と過ごした。

家の窓から見える桜島はやっぱり雄大で
中目黒からいつも眺めている空と同じはずなのに
鹿児島の空は故郷の姿形をしていた。
むかしはいつもそこにあった景色が
今はとてもありがたく、力をくれる。
おじさんになってきたのだろうか。

じいちゃんばあちゃん、あーちゃんのお墓を
きれいに洗い流していろんな報告をした。

一緒にごはんを食べて大笑いしてた頃をすぐに思い出せる。
謎のタイミングでカメラのシャッターを切るじいちゃん
高くて澄んだ声でエンドレスに話し続けてくれるばあちゃん。
自分が小さいときにしか会えなかったけど
ずっと見守ってくれてるあーちゃん。
空の向こうにいるのに
いつでも会えるような気がしてる。

2013年は本当にいろんなことがあって
2014年になった今だから言えるけど
時間があったら空を眺めてあーちゃんに話をしてた。

昨年倒れたじいちゃんに会いに行った。
いつもなら昼寝するのに、僕らがくるのを知って
かわいいクルミボタンのついたセーターを着てずっと待っててくれた。
右半身は動かないから着るの大変だっただろうに。

会えたときはなんだかすごく安心して
涙をこらえるのが割とたいへんだったんだけど
じいちゃんをたくさん笑わせたくて
弟と渾身の突っ込みとボケのコンビネーションを展開。
うれしい夜だった。

じいちゃんは90歳になる。
自分の中では永遠の62歳なのに。
あーちゃんに必死にお願いした。
じいちゃんがもっとたくさん笑って元気でいてくれますように。

3年前、脳の血管が爆発して
言語障害、半身不随確定と言われたおかんは
まるで何事もなかったかのように家中をちょこちょこ歩き回り
僕らにうまいメシをつくってくれる。
店出せばいいのにっていうぐらい。
そしてたくさんの話をしてくれる。
身長152センチぐらいなのに、どでかい優しさの塊をもってる。
奇跡は今でも、これからも続いて行く。

夢にみた色彩をおかんはひらすらに具現化してた。
ここにきてこの才能。万歳だ。

東京に戻った途端、いろんなスピード感に押し流されて
1月も気がつけば半分になっていた。
おそらくこのまま春まで突っ走る。
渋谷の街には振り袖姿の女の子。

追い抜くときに思い出した20歳の成人式。

2014年は午年。
1978年生まれの僕は年男だ。

イメージを形に。
今年もいろんなありがたい出会いがあるだろう。
感謝を忘れずに、地に足付けて、笑顔をたやさずに。

今年もよろしくお願いします。 

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A.D.O 亜童

A.D.O 亜童

フリーランスの編集者、ライター、ディレクターとして雑誌やWEB、広告、映像のディレクションをつとめる。昨年、自身のクリエイティブ・カンパニー「E inc.」を設立。新たなコミュニケーションを模索中。人生一度きり、の思いを掲げ、自らのお尻を叩きながら前へ前へ。鹿児島出身、目黒区在住。
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Instagram :@adoman1978