イースターホリデーも近くなり、お天気も春らしくってきました。公園や庭にもお花が咲き始め、なんだか春の予感です。ロンドンではそのイースターにちなんで、"ザ・ビッグ・エッグハント" というイベントが2月21日から始まりました。
イースターといえば、エッグハント。って、私も実際にした事はなく、日本の皆さんは特に馴染みも無いと思うのですが、お家の庭などにカラフルにペイントした卵を隠して、皆でその隠れた卵を探し出すという行事なんです。
その通常のエッグハントの規模を大きくして、200個以上もの大きな卵がロンドンの至るところに置かれていて(隠されていて)、それを見つけてそれぞれの卵に書かれている秘密の暗号をSMSメッセージで送ることにより、なんと抽選でたった一人にゴールデンエッグが当たる!というのがこのイベント。
この卵たちはイギリスのアーティストや、デザイナー、ジュエリーデザイナー、建築家によってそれぞれデザインされて寄付されたもので、最終的にこの卵たちはオークションに出品され、その基金がAction for ChildrenとElephant Familyの二つのチャリティー団体に寄付されることになってます。
ということで、今ロンドンの街は卵だらけ。
車で走っている途中に、どこかの建物の壁の上にそっとあったり。待ち合わせ場所やミーティングにいく途中に道の横に何気に卵があったり。探さなくてもあちこちで見かけくらいたくさんあります。ちなみにその卵は、ちゃんと地面にくっついててケースに入ってるものもあったりと、盗まれないようになってます。200個の内の、ほんの一部だけを写真で紹介しておきましょう。たくさんのアーティストが参加しているので、アートコレクターの方は是非ウェブサイトをチェックしてみて下さい。
http://www.thebigegghunt.co.uk/
イベントのスポンサーはFabergé(ファベルジェ)というジュエリーブランドで、最後に当たるゴールデンエッグもこの会社によって作られたもの。ファベルジェといえば、18世紀から続く有名なロシアの宝石商。その歴史をちょっと参考までに紹介します。
ピーター・カール・ファベルジェの父親が始めたビジネスで、カールはデザイン学校を卒業してすぐに、ドイツ、フランス、イギリスの偉大な金細工職人の元で8年ほど修行した後、父親の会社でその頃の頭職人の元で10年以上も働き、頭職人が1882年に亡くなると同時にカールがファベルジェの会社運営を全て引き受ける事になります。
その後、同じくデザイン学校を卒業した彼の弟も加わり、デザインに優れた弟が、すべてのデザインを手掛けて、カールがそのデザインを元に商品を生産していきました。とても息のあった二人が作り出す作品は、結果いくつもの賞を獲得、そして1885年から、ロマノフ朝のロシア皇帝アレクサンドル3世によって、ファベルジェ工房がロシア皇室特別御用達ジュエラーに指名されました。そしてその年に、アレクサンドル3世より、妻のマリア皇后へのプレゼント用のイースターエッグの製作依頼を受けました。そうです、それがあの有名な第一個目のインペリアル・イースター・エッグ。このコレクションは世界に知られているもので、エメラルドやルビーなどの宝石で装飾された卵です。
インペリアル・イースター・エッグは1885年から1917年の間に定かではないのですが、合計58個作られたという噂。アレクサンドル3世の後任のニコライ2世も、引き続きファベルジェにイースターエッグを依頼。ただ彼の場合は母親と妻にプレゼントするために、一年に2個の卵が作られました。この卵たちの特徴はもちろん宝石で装飾されている事と、それぞれの卵に仕込まれた仕掛け。
仕掛けがあるということが製作依頼の条件の一つで、毎回サプライズをリクエストされていたそう。この頃にファベルジェは従業員500人で、30万ルーブルの資本金を持つ株式会社にまでなりましたのですが、1917年に十月革命が勃発しファベルジェは国営化。それと同時に株が没収されて工房は消滅してしまったそうです。
このインペリアル・イースター・エッグは、ジェームスボンドの映画でも出てきます。私はそれで存在を知ったのですが、いや~一度でいいから、お目にかかりたいです。"ザ・ビッグ・エッグハント"の最後の賞品がゴールデン・エッグじゃなくて、インペリアル・イースター・エッグだったら応募するのにな~。
view all eggs
宮迫 亜矢 AYA MIYASAKO
1998年渡英。
ロンドンを拠点にフットワーク軽く世界を飛び回り、ホーム&
アクセサリー
デザインの分野でディレクター、コーディネーターとして活躍中。京都出身。