最近、一回り近く離れている人と話をすることがあって、ひょんなことから携帯電話の話になりまして。その人は存在は知っているけれど、もちろん使ったことがないという。それがポケベル。僕が中学、高校のはじめの方はポケベル全盛期。というかいわゆる携帯電話なんて、どこかのお金持ち、つまりどっかの社長とか政治家とかみたいなハイクラスの人しか持てなかった。本体の額も去ることながら、電話代もとんでもなく高かったし。さらにその携帯電話は辞書よりもおっきかったし、外付けのバッテリーなんか付けてその名のごとく“携帯”するためには、ちょっとしたショルダーバッグぐらいのサイズだったことを思い出したりしたのです。高校の中盤ぐらいからPHSが登場して、大学に入ってから携帯を持ったような体感記憶があります。
ポケベルなんて僕のやつは、モノクロの最大8文字しか表示できないタイプ。そしてその表示はすべて数字。文字は電話のプッシュボタンで打ち込むのだけど、その入力方法はぼんやりだけど1~9の数字があ行からわ行まで振り分けられている感じ。例えば「あ」と打ち込みたければ「1」を2回。「か」は「2」と「1」みたいな。
昼休みになったら学校の公衆電話は長蛇の列。学校内外の友人たちとポケベルメッセージの応酬。学校でも駅でも、もちろん家でもとにかくプッシュボタンを打ち込みまくる。今考えるとあんなものすごいスピードで公衆電話のプッシュボタンを連打している光景って異様ですね。なにを送信しているのかって、ちょっと気になる女の子に「おはよう」とか「いい天気だねー」とか。これって今と大して変わってないんです。
やってることは同じ。
顔文字、絵文字、さらにデコ。言葉の感情を装飾する記号のお陰で、言葉の温度を伝えやすくなってきた昨今ではもう考えられないですが、先ほど書いたように、ポケベルでの言葉の表示はすべて数字でした。中でも「ハート」ってやつがあって、それを表す数字が「88」だったわけです。気になる子からの言葉の語尾に「88」が打ち込んであろうものなら、どれだけうれしかったことか。その無表情に見える「88」という数字の羅列の向こうに、公衆電話のプッシュボタンを、頬を赤らめながら、僕のことをもしかしたら思いながら「88」を打ち込んでくれたその子のことを考えてどれだけ浮かれたことでしょう。なんだかそれはとても暖かい伝達手段だったんだなあと思ったのでした。
あれから15年やそれぐらい。携帯は僕の口の中に入るぐらい小さくなり、写真も動画も感情を表す記号豊富なメールもチャットも、さらにはオンラインでつながることができるSNS、ビデオチャットなどなどが登場。実際に顔を合わさなくてもコミュニケーションが取れてしまう時代がやってきました。よって家にこもって誰とも会わずとも、オンライン上でコミュニケーションと取り、人の感情が欠落し、考えられないような常識が生まれたりとんでもない行動を取る人が増え。何か不自由を解決して便利が生まれて、
それはまた不自由を生んで便利が生まれる。かくいう自分も、その便利の中で仕事をしたり遊んだりしているので、そこに文句はありませんが、たまにあんな不便であったかいコミュニケーションがあったなあ、なんて思い出したりして、人と会って話す、伝える喜びを噛み締めたりしたいなあと思うのです。
写真はパリで見かけたきれいな空色のプジョーと、最近のスナップです。
亜童 A.D.O
フリーランスの編集者、ライター、ディレクターとして雑誌やWEB、広告、映像のディレクションをつとめる。雑誌『THE DAY』(三栄書房刊)のクリエイティブディレクターとしても活動中。人生一度きり、の思いを掲げ、自らのお尻を叩きながら前へ前へ。
鹿児島出身、目黒区在住。
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