Director's Note

by TOKURO AOYAGI

四半世紀

いつか海外に住んだりもするんだろうと、子供の頃から漠然と思っていた。服にしても音楽にしても、影響を受けたカルチャーはたいていイギリスやアメリカのもので、何より外国を見てみたいという好奇心と旅欲に溢れていた。

高校を卒業し、18歳で初めてサンフランシスコ〜ロサンゼルスを旅してからは、大学時代のまとまった休みを全てアメリカ旅行とそのための貯金に費やして、卒業式の日も確か旅先にいた。今では信じられないけれど、なにせインターネットがなかった時代だ。行かなきゃ分からないことばかりで、その分行けば行くだけ人の知らない情報が得られて、それが面白いように血となり肉となった。それにつれて、無意識に刷り込まれていた妄信的なアメリカへの憧憬は、共感のようなものに変わっていった。

そして27歳のとき、今からちょうど25年前。清水さんからニューヨークにNEPENTHESの店を出すという話を聞いた日から心がザワザワし初め、いてもたってもいられず働かせてほしいと直談判。3ヶ月後には荷物をまとめて現地に飛んでいた。大器さんの下で働くのはもちろんその時が初めて。今思えば大器さんにとってはいい迷惑で、全然役に立てない上に英語もままならないから、最初の数ヶ月はマンツーマンの英会話教室に貯金を注ぎ込んだりしてもがいていた。

それでも生活を始めると徐々にペースが掴めてきた。移住当初から現地でも続けていた柔術にはずいぶん助けられ、クラスに通ううちに仲間がたくさんできて、一年半くらい経った頃には生活に支障がなくなっていた。そこからはもう怒涛の毎日で、大器さんのエネルギッシュな仕事ぶりになんとか食らいつきながら、少しずつ仕事をもらえるようになっていった。

当時オープンしたニューヨーク店は、ソーホーの外れにあるサリバン通りにあった。知名度もなく、時代的にも今のようなメンズカジュアル市場がないなかで、軌道に乗せるのはとても難しかった。やっていることも置いている服も抜群にかっこ良いのに、世間に気付いてもらえないフラストレーション、自分が役に立てない不甲斐なさ、そんな悔しさに満ちていた。日々処理する情報とストレスが多いからか、映画や音楽も全然入れなかった。というより、入れる余裕がなかった。悔しさはすべて仕事にぶつけて、いつか見てろよとハートの火だけを絶やさずにいた。あの頃の雑草魂は、25年たった今も確かに自分の根底にあって、忘れ難い大事な思い出。

そんな懐かしい日々を思い出したのは、今日が自分にとって特別な日だから。
NY時間の今日10月6日、25年前35歳だった大器さんが「還暦」を迎えるのだ。清水さんのときも信じられなかったけれど、大器さんはもっと信じられない。ついでにNYへ旅立ったあの日からそんなに時間が経ったことに愕然とする。

ハードディスクを隈なく探してやっと見つけた、大器さんとの2ショットは唯一この一枚。。改めて二人で写真を撮る機会なんて確かになかったなあ。。2004年フィレンツェにて。

Dnote 1007

写真が良くないと怒られてしまいそうなので、山田陽がビシッと撮ってくれた最近の一枚も。

Dnote 1007

ENGINEERED GARMENTSを立ち上げて23年、青山にEG旗艦店を構えて13年。出会ったときから何ひとつ変わらない、情熱に溢れた生き様と唯一無二のヴィジョンに、今も刺激をもらっています。大器さん、おめでとうございます。そして、まだまだ引き続き、ご指導ご鞭撻宜しくお願いします。

Recent Post

TOKURO AOYAGI 青柳 徳郎

NEPENTHES ディレクター。 1970年生まれ。 東京都出身。
scrollup