「おばあちゃん何してるの?」
祖母は鍋に水を入れ、こびりついた米を落として食べていた。
「ゆりちゃん、お米には一粒ずつに神様がいるんだよ。
だから全部綺麗に食べてあげないといけないよ。」
幼い私には台所の祖母の姿は少し滑稽に見えた。
同時に、米粒一つに神様がいるとしたら、
さっき私が食べたお茶碗の中には大変な数の神様がいたな、と思った。
祖母は料理上手で、静かな人だったけれど手先が器用で、
藤で籠を編んだり、色の和紙をちぎって貼り絵をしたり、多趣味だった。
籠だけではなくて時には動物や車など色んな物を編んだ。
そんな祖母の家に遊びに行くのが楽しみだった。
私が熱を出した時には、仕事のある母の代わりに祖母が来てくれて
卵入りのおじやを作ってくれたのだけれど、
おじや食べたさと、ほとんどは祖母に会いたい気持ちで仮病を使ったこともあった。
姉は両家にとっての初孫で、妹は末の孫だった。
そんな二人は親戚中から特別に可愛がられていた。
対して私は、いとこたちにも紛れて存在はわりに薄かったように思う。
ただこの祖母だけは私を少しひいきめに可愛がってくれていたことをなんとなく感じていた。
子ども部屋のカーテンの中に二人で丸まって絵本を読んでくれたり、
一緒に押し入れに入ってくれたりと、子どもの遊びにもつき合ってくれる、
私にとっては「一番気の合うおばあちゃん」だった。
「私おばあちゃんちの子どもになる」
と、両親に提案したこともあったほど大好きだったのだ。
そんな祖母が67歳の時がんで亡くなった。
小学生だった私は一番気の合うおばあちゃんがいなくなったことが悲しくて呆然とした。
残酷にも、他のおじいちゃんおばあちゃんが死ねばよかったのに、
とまで思った。
専業主婦として生きた祖母だけれど、
色彩感覚に溢れ、ものを作ることが好きだった彼女が
もしも生まれた時代が違っていたら違う人生だったのかもしれない。
「ゆりちゃんは大人になったら何になりたいの?」
ときかれ、
「画家になる!」
と答えた私を嬉しそうに見ていた祖母。
戦後69年。
国は変わった。世界も変わった。
今は恵まれた時代なのだろうか。
そんな疑問さえ贅沢なことなのかもしれない。
夕飯の片付けをしていて、鍋についた米粒を見て祖母を思った。