憲法九条がノーベル平和賞の候補として受諾された。
安倍政権になってから不安しかなかった日本の未来に少しの希望が見えたような気がした。
この賞は個人か団体に限られていて、憲法が受賞することはできないため、
日本国民が受賞者となるのだという。
改憲への動きの抑止力となり得るだろうか。
10月に受賞者が決まる。
「新入生を担任する高校の教師が、その高校の入学式を
自分の息子の入学式に出席するために欠席した」
このニュースが世の中で騒がれている。
賛否両論あるようで、街頭インタビューの様子では
言語道断!と厳しい口調で責める人がいれば、
息子の高校の入学式は一度きりだし、親は代わりがきかないのだから
息子の入学式の方が大事でしょ、と当たり前のように言う人もいた。
否定的な見方をする意見では、
聖職者である教師が、というのが主な理由になっているようだったけれど、
私個人の意見としては、この教師の家庭環境を知らずには安易に責められない問題だと思った。
高校生になる息子との関係はどんなものか。
事前に謝罪の文章を用意してまで、あえて、欠席を選んだのは、
息子が可愛いから、という理由だけではないかもしれない。
繊細な年頃の息子と母親、そこへ父親も絡んで、
この家庭では教師である母親がそういう選択をする理由があったのではないだろうか。
これは勝手な想像でしかないけれど。
一番気がかりなのは、結果、こんな風に世の中で騒がれることになってしまって、
母親と息子の関係が崩れてしまうこと。
母親の息子を思っての行動が教師であるが故に
普通ではなくなって、こんなにも責められてしまう。
入学式で担任に会えなかった生徒たちと、同じ日に高校生になった教師の息子。
どちらの傷が深いかと言えば間違いなく後者だ。
この出来事と、それに対する世の中の様子が
日本が抱えている大きな問題に少し重なって見えた。
戦争は悲しい。
家族が死ぬのは嫌だ。
友人が苦しむのは嫌だ。
子どもたちが涙を流すのは嫌だ。
そんな当たり前のこと。
それだけは右も左も真ん中も、誰もが同じだろうと信じたい。
想像しなくては。