父と母。私とちょうど5歳ずつ離れた姉と妹。
長い間これが私にとっての家族だった。
生まれてからの多くの時間を当たり前に一緒に過ごしてきたその人たちは、
ものすごく近くてそれなのにどうしてか遠くもあり
その距離は不思議なものだな、といまだに思う。
愛しくて、時にうっとおしい家族という響き。
今私は夫と一歳の息子と三人で暮らしている。
三人分の洗濯物を干す時。
息子の小作りの服たち、一人前のディテールがあるな、とか。
朝目が覚めた時。左には息子、右には夫の寝顔。
信仰心はないけれど、そんな朝がきたことがありがたいな、とか。
食事の時。
作ったご飯を食べてくれる人がいるのはありがたいこと。
逆を言えば食べてくれる人がいるから頑張って作ろうと思うのかも。
朝食は決まっていて、グリーンスムージーとヨーグルト。
野菜を食べない息子のために試してみたら、
息子にも夫にもうけたので続けられている気がする。
背負うものもなく、家という場所が当然そこにあった頃は、
特に家族なんてことを意識もしなかった。
父や母にしっかりと守られていた私はその幸福の裏にある両親のがんばりを知らなかった。
知る必要さえ見つけられないほど子どもだった私は幸福だったのだと思う。
自分が息子を守る立場になって、彼に笑っていてほしい、幸せであってほしい、
自然にそう願っている日々。
そのために。
そういう考え方をするのは振り返ってみれば初めてかもしれない。
夫も同じように、息子を愛していて、
子は鎹、と言うけれどその同じ思いは私たち夫婦の強い絆になっている。
もとは他人どうしの私たち二人が家族になることには多くのハードルがあって、
それはきっとどんな二人にもあって、
でもそのハードルへの挑戦は決して苦痛ではない。
怒ったり泣いたりして、時に疲れながら、
それでも寄り添っている不思議な安心は何だろう。
並走している感じなのだろうか。
ふわりとだけれどどうにか形になっている私たち三人の姿は家族に違いなくて、
いつの間にか何よりも大切なものになっている。
この関係はすごく強固で、でもたぶん儚い。
守るべき、もの。