子ども時代、我が家では「テレビは一日30分」と決まっていたから学校で流行りのドラマがこうなったとかああだったとか、決まって繰り広げられるそんな話題には少しもついて行けなかったし、当然のことながらテレビゲームも無かったからもっぱら水道管ゲーム(水道管をつなげてゆくゲーム)とかバードゲーム(鳥の種類を集めて親子をそろえるゲーム)とかマニアックなカードのゲームで遊んだ。妹はそれだから百人一首マスターになったのだと思う。
テレビゲームを持っている友達がうらやましかったし、それ目当てで遊びに行ったりもしたが、両親は色々と工夫して遊んでくれた。母は時々仕事場から映写機と簡易スクリーンとフィルムを借りて来て、家で上映した。「銀河鉄道999」をよく見た。母は「宇宙海賊キャプテンハーロック」のハーロックが好きで、ハーロックと結婚したかったと言っていた。ハーロックよりお父さんの方が敵だよ、と返した記憶がある。「家でキャンプ」と、父が居間にテントをはって、私たち姉妹はテントのまわりに観葉植物を並べて小さな森を作った。テントの中には寝袋。ぎゅうぎゅうになってそこで眠った。とある休みの日には絵を描くのが好きだった私のために「ゆりこの展覧会」が開催された。家の壁のあちこちに私の描いた絵をはって祖父母を招いただけなのだけれど、幼い私にとって自分が主役のその展覧会は素晴らしいものだった。今考えると凝ったことをしたなと思うが、一人一枚赤いシールを渡し、それぞれ気に入った絵に印をつけることになっていて、私は赤いシールがどの絵に貼られるか胸をはずませながら見ていたのだった。
幼い頃の記憶は幸せなものばかりで、今、母になった私が息子にしてあげられること、何があるだろうかと考える。両親がしてくれたような色々を私は彼にしてあげられるだろうか。会話はまだできなくても、確かに意思表示をしていて、嬉しい時は大きな声で笑うし、怒るとハンガーストライキ(ちょっと大袈裟だけれど)をする。もう立派に人格があるな、と思う。暗くなった窓辺で「コレガヨルダヨ」とささやくと、じっとビルの灯りを見つめている。どうやら「ヨル」を感じているようだ。
明日は日曜日、さて何して遊ぼうか。