夕暮れ前にたどり着いた松濤美術館。
気の知れた友人たちと昼間からワインを飲んでいい気分になった私たちは特にはじめから予定していたわけでもなく友人の一人に良い展覧会だったとすすめられ気のままにそこを目指して歩いたのだった。
連休の渋谷の喧噪を少し離れたところで、その展覧会は静かに催されていた。
室町時代のこま犬。
ナイジェリアイボ族のドア。
紙切れで折られたおじいちゃんの封筒。
長い時間の経過がもたらす物の重み深み渋みは人間の皺に似ている。
私がこの世に生まれてから過ごしてきた日々など到底およばない物語の多さを物たちは知っているのだと思った。
この松濤美術館という空間もまた味わいを深めている絶対的要素だった。
豊かな時間を刻むことができた幸福でうす暗くなった帰り道の肌寒さも心地よく、私たちはまた歩いたのだった。
私にとって、永く連れ添える物は、
技術の完成度の高さや、
めずらしさを誇る美術作品ではなく、
用途の為に素材と形が固く結びついた、
なんでもない普段使いの日常工芸品で、
使われ育まれた物なのだと気がつきました。
____ちらしに書かれた坂田さんの言葉より。
古道具、その行き先 坂田和實の40年
2012年10月3日(水)〜11月25日(日)
渋谷区立松濤美術館
http://www.shoto-museum.jp/