パパはね。。今でもキミが生まれた日のことをよく思い出すよ。
あの日はパパの人生の中で一番長い日だった。
その日の終わりにパパはこんなブログを書いていたんだよ。読み返してみると、ちょっと恥ずかしい。うん、けっこうちゃんと覚悟は決まってたようだ。
「人生で一番長い日」
これを書くかどうか迷ったのですが書きます。
昨日の夜、娘が誕生しました。その日は大変元気だったので私は喜び、安心して自宅へと戻りました。
しかし今朝、娘の容態が急変しました。産科のNICU(新生児集中治療室)に運ばれたのですが、ここでは治療は不可能と判断され、東京大学医学部附属病院のNICUに救急搬送されました。
僕は覚悟を決めていました。しかし娘は本当によく頑張りました。そして東大の先生のお陰で一命を取り留めることができました。娘は心臓に先天性の疾患があったのです。先生達は僕にとって神様のような存在です。天から人々を見守っておられるといわれている神様は僕は信じませんが、お医者様は本当に神様です。病状の説明なども親切に、そして正直に話してくださり感謝しております。
娘は来週、手術を受けねばなりません。そして3歳くらいになる前にあと2回ほどの手術を受けなければならないそうです。すべての手術にはリスクがあります。しかしそれは覚悟しています。そのすべての手術が成功すれば娘は普通の生活ができるようになるそうです。マラソンなどはできないようですが、「体の弱い女の子」として立派に生きてゆけるそうです。
朝の9時に最初の電話があり、それから産科、東大病院を行ったり来たりしました。帰宅したのは夜です。今までの人生で一番長い日でした。そして一生分泣きました。ジャケットの裾は涙と鼻水でグショグショでした。
悲しい映画は2時間で終わります。しかし僕はこれから一生娘の病気に向き合っていかねばなりません。実は娘が産まれた夜はまだ「父としての実感」が湧きませんでした。しかしこのような状態になり娘と一緒に救急車で東大に向かう時に心から「この娘を失いたくない」と思いました。自分の人生をすべてあげても良い。自分は明日死んでも良いから娘は生きてほしいと思いました。
人生って難しいですね。僕はまっとうに生きているつもりです。「なぜ俺の娘がこんな目にあうんだ。。。俺は何も悪いことしてないじゃないか」と怒りました。そして泣いて泣いて今日という日が終わりました。
朝は「もうダメかもしれないな」と最悪のケースを想定していました。だから今はハッピーです。あんな小さな体の小さな心臓にメスが入るのかと思うとつらくて仕方ないのですが、先生を信じています。ただ生きていてほしいです。成績が悪くても、顔が可愛くなくても、なんでもよいから娘に大きくなってほしいです。
豪邸がほしい、高級車がほしい、有名になりたい!そんなこと全く思ったことはありません。ただ平凡な家庭が欲しかったのです。しかしそれさえもなかなか厳しいのですね。いつか僕にもそんな日が来るようにこれから頑張ります。いつか家族で食卓を囲んで「あの時は心配だったんだぞー」と娘に笑って話せる日が来るように頑張ります。
これを書いたのが3年と4ヶ月くらい前のことなんだね。
今まで、いろんなことがあったね。ちょっとだけ振り返ってみようね。
キミが2回の手術を終えて、2歳になってからパパは「パパはね。。」ってブログを始めた。
また最初から読みなおしてみようか。