Homemade in Hell’s Kitchen

2月になってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。
本当にご無沙汰していました。

コラムというか、こういう書き物はずっとペース良く書いてる時はさほど苦ではないのですが、一旦それが止まって長い間書いてなかったりすると何て言うか、悪循環というか、どんどん、どんどん書けなくなり、書きたくなくなってくるんです。書きたい事がなかった訳ではなく、確かにバタバタと忙しかったのもありますが、一番の理由は書かなかったら、書けなくなったという事ですね。なので、このタイミングで少し勢いを付けていかないと復活は無理かもしれないと思いつつ、、、。

正月早々から始まったEG来秋冬シーズンのセールスは、例年通りフィレンツェのピッティを皮切りにNY、そして東京と続き、ウィメンズを含めた展示会を全て終えて2、3日前にやっとNYに戻ってきました。まだ時差ぼけが酷いのですが、今回はフィレンツェの展示会、ピッティへの出展が最後ということもあり、何だかいつもに比べて特別の感慨深さがありました。思えば2004年の春夏以来、10年間、20シーズンの展示をピッティでしてきたのは、当初無謀とも言われた挑戦でしたが、何とか当初の目標であった10年間を完遂できました。この間に出会えた全ての人たちに感謝です。今後の動きはまだ未定ですが、何かまた新しい挑戦を見つけていきたいと考えています。

写真はその最後のピッティからのスナップ。
今度はいつフィレンツェへ行く機会が訪れるのか、ちょっと楽しみでもあります。

さて、ヨーロッパでの初期の取引先の一つでもある、英国マンチェスターの名店、”Oi Polloi” が刊行している小冊子「 Pica Post」の最新号に、以前 Woolrich Woolen Mills のプロジェクトで一緒だった、現在 Battenwear のデザイナー、長谷川晋也による、僕へのインタビューが掲載されています。
ウェブサイトでもその内容は閲覧でき、以下がそのリンクです。

ですが、全編英語に編集されています。
実際のインタビューは当然日本語であり、手元にその草稿が残っています。
英語への翻訳はまた違った感じに聞こえる箇所があったりしますが、こちらの原稿がオリジナルです。
是非読み比べてみてください。

ではまた次回。

1. ここ数十年でMade in USAの意味合いが変わって来ていると思います。僕が十代の頃に洋服に目覚めて、Made in USAの洋服を着始めましたが、正直生地は固くてごわごわしていて、とても着心地の良い物ではありませんでした。ですが、着ていくうちに体に馴染んできて、いつの間にか手からはなせない物になって行きました。当時これがMade in USAの良さなんだなと実感しました。今は当時着ていた会社の洋服の殆どが別の国で生産され、当時の風合いとはずいぶんと変わってしまいました。大器さんにとってMade in USAとはなんでしょうか?それとEGでMade in USAを貫く意味とはどのようなものでしょうか?

僕がアメリカの洋服や文化に影響を受けたのは70年代。建国200周年でアメリカの国自体が非常に盛り上がっていて元気があった頃。当時のアメリカの洋服は当然のようにアメリカ製で、シンヤも感じたと思うアメリカ製の洋服のとっつきにくさ、だけど着ていくほどに馴染む感じや、着古した時の表情は独特のものがあって(ジーンズや、Tシャツがその最もたるアイテムだったと思う)僕を含めた多くの日本の洋服好きはこれにやられたんだと思う。僕にとっての Made in USA は、その昔死ぬほど遠かった強いアメリカ、映画で見たハリウッド、雑誌でみたカルフォルニアや、NYのカルチャーへの強烈な憧れと敬愛、そして今はそれらに対するノスタルジーが当時の洋服とシンクロしていて自分の頭の中にずっと残っているもの。これが今のEGのアメリカ製に寄与してる部分はあると思うけど、実はEGの場合はアメリカ製、Made in USA というよりは、Made in New York でスタートしたブランド。洋服を作る僕ら自身がNYに生活しているということ、そしてそのNYで洋服を作るということ、全てはNYローカルをベースに進めた洋服作りということで、全面に Made in New York を打ち出して始まったもの。先に述べた Made in USA とはまたちょっと違うコンセプトだったし、今もそれは変わっていない。

2. Battenwear もEGもJapanese Brand として紹介されることがよくあります。実際はNYを拠点にアメリカで生産しているにも関わらず。しかもアメリカのスタイルの影響を踏まえた上で。大器さんはEGが日本のブランドだと認識しますか?それと、よく皆さんが「日本人独特の細かい部分に行き届くスタイル」だとか「侘び寂び」ということをEGの洋服に対して口にしますが、このことに関してはどのように考えますか?

Japanese brand かどうかという点は、ま、見る人に依るだろうと思う。
僕らの拠点がNYだから、僕ら自身はNYのブランドという意識があるけど、僕が日本人だから Japanese brand と云われるのだったら、それでも構わないと思う。パリで活躍するアメリカ人デザイナーや、ミラノで活躍するトルコ人デザイナーや、ロンドンで活躍するインド人デザイナーなんかを考えるとあまり意味が無いような気もするし、見る側に依るでしょう。 日本人独特のアプローチに関して云えば、一般的にそうだなと感じる部分もあるけれど、自分自身は全く意識した事は一度もなく、逆に外国人が日本について理解しにくい部分があるとよく使われる「詫び寂び」に関してはいわゆる芸術家や本流のデザイナーにはあてはまる事もあるかもしれないけれど、僕の場合はインポート(外国からの、舶来もの)の洋服屋上がりで、どちらかというとそれとは相反する方向をめざしてきたと思っている.よく言われる、細かいディテールに関しても、ベースにあるのはアメリカの20年代から30年代の多くのアノニマスデザイナーたちが残した想像を遥かに越える素晴らしいデザインの数々。僕にとってそれは日本人独特というよりは、その時代の、実にアメリカらしいきめ細かさだとさえ思っている。

3.僕がウールリッチウーレンミルズで大器さんと一緒に仕事をさせて頂いた際に、たくさんのことを学びました。そのなかで、コレクション毎に柱となるテーマを決めてそれぞれのアイテムがそのテーマに連なって行くように展開して行く方法が僕には印象に残っています。このテーマというのはどのようなプロセスを置いて出来上がって行くのでしょうか?色が先に来るのでしょうか?それとも生地を選択しながら出来上がって行くのか。または最初からテーマができあがっているのでしょうか?

ウーレンミルズを担当するにあたって一番考えた事は、クライアントだったWP社が何を僕に期待していたかという事。つまりウールリッチをどういう風に作り替えて欲しいのかということを考えて始まりました。ヴィンテージをベースに、新しい切り口で、ファッションというか、モード的なインパクトも含めたい。その場合は、ある程度シーズン毎に明確なテーマか、全面に出る明らかな色、柄を見せるのがベストだと判断していました。EGとは全く異なる作り方です。テーマを考える、生地を選択するのは全体が見えてくる遥かに以前にする事で、この部分では完全に自分の勘だけに依存していて、いわゆる、「いつもこういう流れで」みたいなプロセスはないです。何となく勘に頼りながら始まって、作っていくうちに何か形が見えてくるっていうのが正直なところで、これが見えてこなかったら大失敗だと思いますが、契約終了まで何とかそれはなくて済んで良かったと思っています。

3. 現在のお仕事に就かれる前はスタイリストをされていましたが、その経験は洋服を作る上でどれほどの影響はありますか?EGの洋服は大胆さと実験的な試みそしてシンプルな要素、これらがうまく融合したスタイルだと思います。そして、毎シーズン、そのスタイルがルックブックでうまく表現されいています。デザインをするときはスタイリストの視点でのユーザーがどのようなスタイルを好むのか、またそれぞれのアイテムがどのようにコーディネートされていくのかなど考えますか?

スタイリストは東京で店員を辞めてから渡米するまでの1年間だけです。
しかも本業ではなく、頼まれた仕事を来る度に受けていただけなので、特別専門に働いた媒体も無かったのですが、その時の仕事には、それまでの店での経験が非常に役に立ったなという意識はありましたが、スタイリストの経験が今の洋服を作る上での影響はそんなにないと思います。それよりも多大な影響というか、非常に大きな要素となっているのはスタイリスト以前の、お店での8年間の経験です。僕の働いていたお店は、通常の洋服屋ではなく、いつも他にはない視点で仕入れたインポートの製品がいっぱいでした。業界の一線の人たちがいつも立ち寄る、洋服雑誌の編集の人たちやスタイリストの人たちがこぞって通ってくれる、そんな名店で、そこに並ぶ製品は素晴らしいものでした。これを端から見て、着て、飾って、売った経験は今の自分の全てを作ったと思うほどです。そこで知った洋服のディテール、着た時のフィット、飾った時の見せ方、アピールするスタイリングの仕方、売った時の接客、顧客とのコミュニケーションなどなど、今僕が洋服を作る上で必要な事のほぼ全てをこの時、知らず知らずに学んでいたように思います。EGのデザインや、ルックブックのスタイリングにはこの時の経験が大きく影響してる事は間違いないです。

4. NYの好きなお店の一つ、ネペンテス。僕のオフィスから非常に近いこともあり、よく立ち寄りますが、毎日たくさんのお客さんが世界各地から買い物をしに来ているのをみてビックリします。大器さんにとってもそういうのを見てとてもうれしいことと思います。僕もいつの日か自分のブランドでフラッグシップになるお店が開ければと願っています。NYのネペンテスのように良いお店作りをする秘訣などありましたら教えて下さい。

お店作りの秘訣は、、、無いです。分かっていたら多分昔にお店を開けたときも上手く行っていたはずです。今のネペンテスのNY店がうまく行っているのは、先ず扱うメインブランドであるEGのブランドヴァリューが市場にそこそこ浸透していたことが一番大きいと思います。取引先はありますが、EGのスタイルを日本の直営店以外では最も広いレンジで見せられる場所だということ、そしてネペンテス東京からのブランドたち、これはアメリカでは見られないユニークな製品であること、そして何よりも店にいるスタッフ、つまり人が一番大事だといつも思っています。

6.EGの洋服の中には様々な要素が含まれています。ハンティング、フィッシング、ワークウェア、ハイキングやクライミング、そしてサーフィンなど。よく他のブランドでビンテージの洋服をそのままコピーして、もしくは同じ形を使ってただ生地を替えるだけといったブランドを多くみますが、それに比べて、EGのスタイルはビンテージの洋服の要素を踏まえた上でそれをいくつものひねりを加えて表現しているように見せます。このプロセスをいわゆる現代のスタイルに合わせるときにどのような点に注意していますか?

現代のスタイルはあまり考えた事はないです。
EGは、長い業界での経験の中で、カッコいいなと思った洋服、憧れた洋服、実際に買って着た洋服、買えなかった悔しい思いをした洋服、酷いなと思った洋服、絶対にあり得ないと思った洋服、衝撃を受けた洋服などの多くの記憶から始まっています。それが、それぞれハンティングなものだったり、ワークウェアだったり、スポーツもの、デザイナーもの、コスチュームの要素を持っていたりするのだと思いますが、昔から、ここがこうだったらもっと良かった、あるいは面白かったという意識があって、それが、シンヤの云うひねりなんだと思う。毎シーズンここから考えるときに注意するのは、一つだけ、バランスというか、さじ加減だけです。

7.この数年間サーフィンにとてもハマっているようですが、何がきっかけでそのようになりましたか?それと、NYは寒い冬があります。それでも頻繁に行き続けるのは、何がそうさせるのでしょうか?また、サーフィンがどのようにデザインに影響を与えるのか教えて下さい。

きっかけは、シンヤだね。それまでも海は好きでメキシコや、ハワイへも行った事は何度もあるけど、サーフィンには全く興味がなかった。シンヤと仕事し始めてから、機会があるたびに誘われて、ほとんど付き合いで出かけていった初回であまりにも何も出来ず、全く話にならなかった事が僕の挑戦心に火をつけたかな。でもそれは単にきっかけで、寒い冬でも出かけて行く大きい理由は、一緒にいく仲間に恵まれた事。シンヤはもちろん永遠のサーフィンの先生でもあるし、他の仲間も皆同じように一緒に集まって海に向かうのが大好きなんだと思う。サーフィン自体も素晴らしいスポーツだと思うし、そのプロセスは、何か僕の好きな事に、もの凄く近いなと感じられるところが多いから。デザインに影響するのは当然で、それはEGが僕のパーソナルな経験から作られてるに他ならないから。

8.ファッションの業界は競争が激しく、新しいブランドは出ては消えての繰り返しです。2、3、年でブランドが姿を消して行くのも珍しくありません。そのなかで、EGは10年以上も人気ブランドとして君臨しています。このことに僕は常に驚かされます。この長くブランドを維持させる秘訣とはなんでしょうか?

秘訣があれば、教えて欲しいです。EGが人気かどうかはわかりませんが、このブランドには僕の全てが詰まっています。同じ年代を生きてきた人、その時代を好きな人、アメリカに憧れていた人、何か人とは違っていたい人、そういうどこか僕と共有点を持つ人が世界中にそんなに多くはないだろうけど、いるだろうと思ってはいました。それがたまたま時代に合ったんだろうと考えています。当初は多分すぐに終わってしまう流行みたいなものだと思っていましたが、僕が思っている以上にアメリカ人にもこのスタイルを好きな人が多く、今はもしかしたら今後ずっと定着して行くかもしれないと感じています。もしそうであれば、支持されるボリュームは大小するでしょうが、きっとEGのスタイルとして残っていけると信じています。僕自身が今後も維持しなければいけないと思っているのは、できるかどうかば別として、自身が楽しめる、自分の好きなもので、常に誰のコピーでもなく、影響も受けない、自分自身のオリジナリティを大切にしたいということだけです。

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DAIKI SUZUKI 鈴木 大器

DAIKI SUZUKI 鈴木 大器

NEPENTHES AMERICA INC.代表「ENGINEERED GARMENTS」デザイナー。1962年生まれ。89年渡米、ボストン-NY-サンフランシスコを経て、97年より再びNYにオフィスを構える。08年CFDAベストニューメンズウェアデザイナー賞受賞。日本人初のCFDA正式メンバーとしてエントリーされている。