光石研インタビュー The Another SOUNDTRACK
〈10代の思い出の1曲〉The Manhattans「涙の口づけ」(1976)

〈10代の思い出の1曲〉

The Manhattans
「 涙の口づけ 」
  • 着るものに興味を持ったのは比較的早いほうでした。お袋がひとりっ子の僕にいろいろと服を買い与えていたみたいで、小学校に紺のブレザーや〈VAN MINI〉のダッフルコートを着て通っていたのを覚えています。フィンガー5が流行ったときには、友達と一緒に真似してパンタロンのジーンズを穿いていました。
  • ファッションに目覚める決定打となったのが、アイビーとの出会い。中学2年生の冬でした。その頃通っていた塾に一個上のオシャレなお兄ちゃんがいて、アイビーを特集した雑誌『メンズクラブ』をくれたんです。当時のアイビーは優等生というよりも、むしろ不良のイメージ。ボタンダウンのシャツに細身のパンツを合わせて、髪はワックスできっちり横分けにしている姿がカッコよくて。そんなやんちゃな雰囲気に憧れたんだと思います。
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  • 『メンズクラブ』を知った数ヶ月後、今度は雑誌『ポパイ』が創刊。これがさらに衝撃的で。昨日まで東海岸だのアイビーリーグだの騒いでいたのに、その日から気分は一気にカリフォルニアへ(笑)。スウェットやラガーシャツ、ボーダーのポロシャツを着るようになって、ついにはスケートボードまで始めるハマりっぷり。毎号ファッションだけじゃなく、いろんなカルチャーやライフスタイルが紹介されていて、多感な田舎の少年にはとんでもなく刺激的な内容でした。
  • 音楽にのめり込んでいったのも、ちょうど同じ頃です。きっかけは家族旅行で鳥取のスキー場に行ったとき、ロッジのテレビから流れてきたキャロルの解散ライブの再放送。キャロルのメンバーももちろんカッコよかったけど、それよりもその周りを取り囲む革ジャンを着たリーゼントの集団に目が釘付けになりました。
  • 後日、友達がその人たちはクールスっていうグループだと教えてくれて、レコードを貸してくれたんです。早速聴いてみたらキャロルよりも曲がポップだし、なにより、あんな見た目なのに裏声で歌うところにシビれちゃって。そこから彼らの影響でオールディーズやソウルミュージックを好きになり、18歳で東京に出てきてからは山下達郎さんやシャネルズの熱狂的なファンになりました。
  • 10代の頃に聴いて今も大好きな曲はいっぱいありますが、1曲だけ選ぶとしたら、The Manhattans「涙の口づけ」。上京して半年くらいの頃、彼らが来日するっていうんで当時『ただいま放課後』というドラマで共演していた歌手の大滝裕子さんたちと一緒に新宿のツバキハウスに観に行ったんですよ。黒人のソウル・グループを生で観たのはそれが初めてで、その日のことはすごくよく覚えてます。みんな〈NEEDLES〉みたいな格好をしていて、めちゃくちゃカッコよかった。そんなエピソードも込みでとても思い出深い曲です。
〈20代の思い出の1曲〉スクーターズ「東京ディスコナイト」(1983)

〈20代の思い出の1曲〉

スクーターズ
「 東京ディスコナイト 」
  • 20代はチャラついていたというか、ずっと浮かれてました(笑)。憧れの東京で暮らし始めた嬉しさもあって、俳優業そっちのけで趣味に熱中する毎日。あの頃を思い出すたびに反省しています。なんでもっと真面目に仕事しなかったんだろって(苦笑)。
  • 働いてちょっとお金が入ったら、たいがい古着とレコードに使っちゃってましたね。古着屋でよく行っていたのが、オープンしたばかりだった原宿のDEPT。ここはとにかく安かった。あとはサンタモニカと赤富士。買うのはスウェット、ボタンダウンのシャツ、ジーンズ、チノパン。つまり、今の服装とほとんど変わらない(笑)。
  • たぶん24、5歳の頃だったかな、フレンチ・アイビーが流行ってフランスのボーダーがブームになったときには僕も飛びつきました。その頃には“ザ・アメリカ”という感じの古着よりも、もう少し洗練されたスタイルが好きになっていて。当時買った〈セントジェームス〉のカットソーで、いまだに現役のものもあります。
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  • レコードは下北沢のフラッシュディスクランチやディスクユニオンで買うことが多かった。当時の僕はお酒を飲まなかったので、趣味を共有できるような仲間がいなくて。人と好きな音楽の話をするのは唯一、同じく下北沢にあったエクセロしずおか屋というソウルバーにお酒の飲める友達と一緒に行って、マスターに店でかかっているレコードを教えてもらうときくらい。夜は自宅で好きな音楽を聴きながら絵を描いたり、お気に入りの曲だけをまとめたカセットをつくったり。ひとりでそんなことばっかりしていましたね。
  • スクーターズはアートディレクターの信藤三雄さんが結成したパーティーバンドで、僕が二十歳くらいの頃、東京ですごく流行っていたんですよ。他のメンバーもデザインを本業にしている人たちが中心だったので、プロフェッショナルすぎず、かといって完全なアマチュアでもない感じがすごく良くて。僕自身が役者としてそういう存在になりたいと思っていたこともあって、「東京ディスコナイト」を聴いて一発で好きになりました。僕の永遠のアイドルです。
〈30代の思い出の1曲〉クレイジーケンバンド「昼下がり」(1999)

〈30代の思い出の1曲〉

クレイジーケンバンド
「 昼下がり 」
  • 20代後半、ちょうどバブルが弾けたあたりから仕事が減ってきて、だんだんと立ち行かなくなってきました。それでも、なんとかなるだろうと高を括っていたら、30歳を過ぎても状況は一向によくならない。すでに結婚もしていたので、さすがに焦りました。
  • 知り合いのプロデューサーさんに売り込みに行ったり、自分で台本を書いてみたり。打開策を模索するなか、転機が訪れるのが30代の半ば。大きな役ではなかったものの、映画『ピーター・グリーナウェイの枕草子』のオーディションに合格し、同じ年に青山真治監督の映画『Helpless』にも出演させていただきました。
  • そのあたりから少しずつ仕事が入るようになり、自分の意識も変化し始めました。趣味はいったんやめて、俳優業に全力を注ぎ込もうと。持っていたレコードをすべて押し入れにしまい込んで、たしかレコードプレーヤーも処分したんじゃなかったかな。
  • 光石研インタビュー The Another SOUNDTRACK
  • 服は何を着てたんだろ……? どんな格好をしてたのかまったく思い出せない(笑)。それまでみたいにあれこれ買い物はせず、持っているものを着回していたんでしょうね。気持ち的な余裕もそうだけど、そもそも趣味に使えるお金がなかったので。
  • 30代も終わりに差し掛かり、ようやく仕事が軌道に乗ってきて、封印していた趣味をまた楽しめるようになってきました。ちょうどその頃に、横山剣さん率いるクレイジーケンバンドと出会います。
  • 横山さんはクールス脱退後、ダックテイルズというバンドを結成したり、音楽活動を続けられていたのですが、僕が音楽を一切聴かなくなった時期と重なっていて、新しい情報を追えていなかったんですね。だからクレイジーケンバンドを知ったのもたまたまで。雑誌で横山さんの記事を見つけて、近々原宿でライブをやるというんで観に行くことにしました。
  • ステージに登場した横山さんは、クールス時代のコワモテな感じとはまるっきり違っていて。歌っているときは昔と変わらずめちゃくちゃカッコいいのに、MCになった途端、ものすごくチャーミングで。いい意味で裏切られたというか、いわゆる“ギャップ萌え”ってやつですね(笑)。すぐにファンになりました。「昼下がり」は1999年リリースの2ndアルバム(『goldfish bowl』)に収録されている曲。初めてライブを観た後、最初に買ったのがこのCDで、今も大好きな作品です。
〈40代の思い出の1曲〉The Black Eyed Peas「Where is love?」(2003)

〈40代の思い出の1曲〉

The Black Eyed Peas
「 Where is love? 」
  • 40代は仕事とプライベートのバランスがとれた、とても充実した毎日を過ごせました。それまでの趣味に加えて、部屋をリノベーションしたり、10代の頃からずっと憧れていた古いベンツに乗るようになったり。
  • 光石研インタビュー The Another SOUNDTRACK
  • 〈ENGINEERED GARMENTS〉を初めて知ったのもこの時期。当時よく買い物をしていた原宿のBEAMS PLUSで見つけて、どういうブランドなのかは知らないまま、直感で「このブランドはいい!」と思いました。デザインや形はベーシックで、いわゆるアメカジやアメトラの定番と呼ばれるようなアイテムが中心なんだけど、サイジングやディテールが他のアメリカのブランドや古着とは違う。そのアレンジのさじ加減が、僕にはちょうどよかったんですよ。
  • そこからちょっとずつアイテムを買い足していって、プライベートだけでなく、私服で取材を受けるときや映画の舞台挨拶など仕事の現場で着る機会も増えました。『SOUND TRACK』の中でも紹介していますが、スーツやシャンブレーシャツなど一生モノといえるくらい気に入っているアイテムもありますし、自分の好きなファッションを語るうえで〈ENGINEERED GARMENTS〉はとても大きな存在です。
  • 40代の半ば頃から少しお酒を飲むようになり、何人か音楽の話ができる友達もできました。そのうちのひとりに原宿のカフェでバイトをしている人がいて、「光石さん、いっぱいレコードを持っているんだから、うちでDJやればいいじゃん」って声をかけてくれて。そんなきっかけもあって押し入れにしまい込んでいたレコードをまた聴くようになり、ときどきその店でBGM係みたいなこともさせてもらいました。
  • ホンモノのDJの方たちに混じってイベントに出たこともありましたね。当時は役者としてそこまで知られていたわけじゃないから、たぶん「なんだ、このヘタなやつは?」って思われていたんじゃないかな(笑)。ただ、僕は歌と踊りと楽器がまるっきりダメなもので、自分のかけた曲でお客さんが体を揺らしてくれたり、曲名を聞かれたりすることが本当に嬉しかった。The Black Eyed Peas「Where is love?」は、その頃にDJでよくかけていた曲です。
〈50代の思い出の1曲〉思い出野郎Aチーム「週末はソウルバンド」(2015)

〈50代の思い出の1曲〉

思い出野郎Aチーム
「 週末はソウルバンド 」
  • 光石研インタビュー The Another SOUNDTRACK
  • 50代は本当に不思議な10年間でしたね。50歳のときに『あぜ道ダンディ』で初めて映画の主演を務めさせていただき、ドラマ『バイプレイヤーズ』では大好きな人たちと共演できた。あとは、積極的にアピールしたわけではないのに、昔からの趣味にもスポットを当てていただいて。俳優業でもそれ以外の仕事でも、たくさんの新しいことを経験させてもらいました。
  • オシャレだとか、カッコいいだとか、皆さん僕のことを持ち上げてくださいますが、あくまでもそれは雑誌の方とかにいい感じにしてもらって、なんとなく付加価値がついているだけで。自分からしたら、若い頃に思い描いていた50代のイメージとは、もうまったくの真逆(笑)。後輩の役者たちから慕われていて、芝居やプライベートについてのアドバイスを求められるような人になっていると思っていたら、全然そんなことはなくて。逆にこっちが相談に乗ってもらっているんですよ。「俺、こんな格好してて大丈夫かな?」「ダメなときは遠慮なく言ってね」って(笑)。
  • まあ、でも、ファッションも音楽も車もずっと変わらず興味があるし、若い頃には「役者たるものが、芝居以外の趣味にかまけているなんて」って怒られたこともあったので。この歳になってそこに注目してもらえたり、取材なんかで趣味の話を思う存分できるのは単純に嬉しいですね。
  • 思い出野郎(Aチーム)を知ったのは、2015年にデビュー・アルバム(『WEEKEND SOUL BAND』)が出てすぐの頃です。時間ができるとよく渋谷のタワーレコードに行って、気になった新譜を片っ端から試聴するんですが、思い出野郎の場合は「週末ソウルバンド」と書かれたPOPを見て興味を持ちました。1曲目の「週末はソウルバンド」を聴いて、すぐにCDをカゴに入れた記憶があります。歌詞もすごく刺さるし、最高のバンドですね。
〈60代の思い出の1曲〉Silk Sonic「Leave The Door Open」(2021)

〈60代の思い出の1曲〉

Silk Sonic
「 Leave The Door Open 」
  • 60代を迎えた今、相変わらず着るものにこだわりはあるけど、以前に比べると買い物の頻度は随分と減ってきました。服を仕舞うスペースも限られていますし、ときどき気に入ったものを買い足すぐらい。そもそも〈ENGINEERED GARMENTS〉の服は作りがしっかりしていてずっと着続けられるから、定番的なアイテムは頻繁に買い替えなくてもいいですよね。
  • 趣味の話で言うと、この20年、ずっと忙しくて映画をまったく観れてないんです。話題になった作品どころか、自分の出演作さえも。なので、これからは映画を観る時間を積極的につくっていこうと思っています。
  • 30代の苦い経験があるせいで、以前は仕事のスケジュールが埋まってないととにかく不安でした。3日間空きができただけで、マネージャーに「何か予定を入れてくださいよ!」ってお願いするくらい(笑)。でも、そろそろそういう働き方はやめて、ひとつひとつの仕事をよりいっそう大切にしながら、プライベートでも今までできなかったようなことをしていきたいです。
  • Silk Sonicはこの1年くらいの間に新しく知ったなかで、いちばんお気に入りのアーティストです。去年の3月、移動中の車でラジオをかけていたら、この曲が流れてきて。肝心の曲名を聞き逃したので、慌てて車を停めてShazamで調べました(笑)。「Uptown Funk」とかBruno Marsのソロもカッコよかったけど、Silk Sonicは70年代のスウィート・ソウルを彷彿とさせるサウンドがさらに自分好みで。すぐにYouTubeでMVもチェックしたくらい、すっかりハマっちゃいましたね。
Photography : Takeki Yasuda
Styling : Satsuki Shimoyama
Hair & Make-up:Rumi Hirose
Interview & Text : Daisuke Inoue

Photo at ENGINEERED GARMENTS TOKYO