滝藤賢一インタビュー TOE THE LINE

10代の頃の夢は、
自ら役者もやる映画監督

  • 滝藤さんは、どんな子供でしたか?
  • スポーツ少年でしたね。3歳から体操と水泳を習っていて、小学校では全部の部活をやってました。野球、サッカー、陸上、水泳。すべてレギュラーでした。
  • すごい! スポーツ万能だったんですね。
  • 万能というか、スポーツで負けることが許されなかった家庭だったんですよ(笑)。特に母親が小さい頃から勝ち負けにものすごくこだわる人で。勉強しろって言われたことは一回もなかったけど、その代わりに縄跳び大会とか徒競走で負けたら「悔しいと思わないのか!」って厳しく言われましたね。
  • 映画やドラマに興味を持つようになったのは?
  • 小学生の頃ですね。金曜日は水野晴郎さんの『金曜ロードショー』、土曜日は高島忠夫さんの『ゴールデン洋画劇場』、日曜日は淀川長治さんの『日曜洋画劇場』という感じで、テレビの映画番組が好きで毎週観てたんですよ。ジャッキー・チェン、エディ・マーフィ、クリント・イーストウッドなんかに憧れるようになって、高校に入るとマーティン・スコセッシ、ブライアン・デ・パルマ、デヴィッド・クローネンバーグあたりの作品を観まくってました。あと、一番インパクトがあったのが、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』。タランティーノから受けた影響は、とてつもなく大きかったです。
  • その頃には自分も将来は映画の世界で働きたいと思っていましたか?
  • 漠然と、ですね。芸大に入って映画を撮るか、もしくは体育大学に進んで水泳のインストラクターになるか、なんてことを考えていました。ただ、僕は全然勉強ができなかったので、結局大学には進学せず、19歳で上京して映画演出を学ぶために専門学校に入学しました。
  • 最初は俳優ではなく、監督志望だったんですね。
  • その頃は、自分が出演したいという気持ちは全くなかったですね。出るとしても、北野武さんとか塚本晋也さんみたいな、自分で監督して出演もするパターンをイメージしていました。転機になったのが、19歳のときに初めて撮影に参加した映画『バレット・バレエ』。監督の塚本晋也さん以外は全員一般公募で制作されると聞いて、キャスト・スタッフのどちらでもいいからと応募してみたんです。
  • どんな形でもいいから、とにかく映画の現場に関わりたかった。
  • そうです。そうしたら運良くキャストで採用していただいて。ただ、演技をするのはそのときが全くの初めてだったから、地に足がつかない感じというか、自分の声が耳に入ってこないようなド緊張で。目は泳ぐし、たった一言、二言のセリフがまともに言えない。そのときの経験がきっかけになって、ちゃんと演技の勉強がしたいと思ったんです。
  • 上手くできなかったことが、逆に俳優の道に進む決断を後押ししたわけですね。
  • 映画監督になりたいとか言いながら、学校の授業に出たのは数えるほど(笑)。映画館を渡り歩くか、家に閉じこもって、毎日ひたすら映画ばっかり観てました。親には地元に帰ってこいって言われてたけど、それもしたくなかった。東京で他に何かやりたいことを見つけないとって思う気持ちもあって、21歳のときに仲代達矢さんが主宰する俳優養成所の無名塾に行こうと決めたんです。
  • 演技を学ぶ場として、なぜ無名塾を選ばれたのでしょうか?
  • 理由は至って単純で、レッスン料がタダだったから(笑)。その代わり、塾生の3年間は恋愛もアルバイトも一切禁止。裏を返せば芝居のことだけ考えていればいいので、俳優を志す人間にとってはこんなに恵まれた環境はないですよ。
  • ちなみに、入塾にはオーディションがあるわけですよね。
  • あります。筆記試験と実技試験。大体1000人くらい受験して、合格するのは数人くらいです。
  • それはすごい倍率ですね! その狭き門を通過して始まった塾生時代は、どのような生活を送っていましたか。
  • 朝5時に塾が開くので、みんな始発で行くんですよ。着いたらまず稽古場の掃除をして、その後、近所の公園で10キロのランニングと発声練習。稽古場に戻った人から自主稽古を始めて、終わるのが大体いつも夕方頃。先輩が帰らなければ、夜の10時とか11時頃まで残ってやる日もありましたね。休みは日曜と正月の3日間だけで、あとは週6日がこのスケジュールでした。

仲代さんの言葉が支えだった
下積みの10年

  • 仲代さんから直接レッスンを受けられるのは?
  • 週に2回。仲代さんの稽古はとにかく厳しかった。たとえば、新聞を読んでいるシーンだったら、新聞を読んでいるところから始めて、新聞を下ろす。下ろしたと同時に奥さんを見て、そこで一呼吸置いてから「おい、散歩でもしてみるか」というセリフを言う。それだけの間に、新聞の下ろし方が違う、妻を見る首の振り方が違う、セリフが聞こえない、呼吸の位置が違う。この繰り返し。たった2ページのシーンを半年間やりましたから(笑)。ギブスと称してましたね。それでも出てくるものが個性だって言われてたんで。徹底的にダメ出しされました。
  • 3年間の塾生期間を終えると、晴れて劇団員として無名塾の舞台に立てるわけですか?
  • 劇団員になれても、新人の頃は設営とか力仕事がメインですね。朝イチで劇場に入ったら、11トントラック2台分の荷物を下ろしてスタッフさんと舞台を組む。役を与えられたとしても、せいぜい先輩たちの後ろにいる群衆の一人。一言のセリフを3人で日替わりで言う、みたいな感じでした。
  • 俳優としてなかなか芽は出ないけれども、腐ることもなく努力を重ねて……。
  • いやいや、腐りまくってましたよ。人間ってこんなにも腐るんだって、自分でも思ったくらい(笑)。しかも同期の真木よう子さんとか内浦(純一)君は早々と売れて、テレビとか映画に出てましたからね。そりゃ、焦ったし、嫉妬もしました。今思えば、人の芝居を見ては文句ばっかり言ってた時期もありました。でも、いざ自分が演技をする立場になると、全然思い通りにできない。その理想と現実のはざまで、長いあいだ苦しんでましたね。
  • それでも俳優になる夢を諦めなかったのは、何故なんでしょう。
  • 親に仕送りをしてもらっていたんです。その仕送りを生活費に充てて、アルバイトで稼いだお金は、すべてワークショップやダンスレッスンなどの芝居の糧になりそうな習い事につぎ込んでいました。親にそこまでしてもらった手前、絶対に途中で逃げ出すわけにはいかないと思っていました。あと、仲代さんに「君は40歳を過ぎたら絶対にチャンスが来るから。それまではしっかりと俳優としての技術を磨きなさい」って言われていて。その言葉をずっと心の支えにしてましたね。
  • そんな我慢の日々を経て、2008年に俳優として注目を集めるきっかけになった映画『クライマーズ・ハイ』に出演されます。
  • もともと原田眞人監督の大ファンだったこともあって、絶対に役をつかみたいと思いました。作中に登場する50人の新聞社の社員役を全員オーディションで選ぶと聞いて、そのうちの誰か一人になれればいいやって思っていたら、まさかの大役に抜擢いただいて。しかも原作を読んで一番やりたい役だったから、合格の連絡を受けたときに思わず「マジっすか!?」って叫んじゃいましたよ(笑)。無名塾に入ってちょうど10年。自分にとって節目の年に掴んだ仕事。まさに会心の一撃でした! まだまだ不安はありましたが、ずっと夢見ていた映像の世界への一歩を踏み出すためにも、退塾して新たなスタートを切る決意を固めました。
  • 退塾することは直接、仲代さんに報告されたんですか?
  • そのときはお会いできる機会がなかったので、手紙で気持ちをお伝えしました。それから7年後、ドラマの仕事でご一緒する機会を得たときはとても緊張して。撮影当日、現場入りされた仲代さんのもとに駆け寄って、「ご無沙汰してます! 滝藤です!」ってご挨拶したら、何も言わずに僕の肩を叩いてそのまま楽屋の方に歩いて行かれたんですよね。その行動にすべてが凝縮されていたような気がして、とても感動しました。

「クソ真面目」が僕のスタイル

  • ご自身の不安をよそに、その後は大河ドラマ『龍馬伝』や連続テレビ小説『梅ちゃん先生』、『踊る大捜査線』シリーズ、そして『半沢直樹』など数多くの話題作に出演され、着実に俳優としてのキャリアを積み上げてこられましたよね。
  • 僕の場合、活動の場を舞台から映像の世界に移したのが遅かったですし、俳優としての外見や声質なんかについてもコンプレックスがものすごく強かったので、仕事に対して必要以上に貪欲なのかもしれないです。いただいた仕事のオファーはスケジュールが許す限り受けてきました。だって、僕にオファーが来た役を他の俳優さんが演じているのを見たら悔しいじゃないですか(笑)。
  • 出演作品の多さに加えて演じる役柄の幅広さもあって、今では名バイプレイヤーと呼ばれる存在のなかでも、ひときわ異彩を放つ演技派俳優として広く知られるようになりました。
  • 本当にありがたいことですよね。自分でよく言うんですが、僕は芸能界というとてつもなくデカい木の一番根っこの部分にしがみついている状態なんです。それは俳優という職業を志したときから、今も変わらず。だから、いただいた仕事を一つ一つ丁寧に、一生懸命、地道に積み重ねていく。とにかく謙虚に、波風立てず、常に「クソ真面目であること」を肝に銘じるーーそれが僕のスタイルです(笑)。
  • そういった基本のスタンスを守りながら、俳優としての現在のポジションや置かれている状況を、ご自身ではどのように捉えていらっしゃいますか?
  • 無名塾に10年在籍して、その後、映像作品も10年近くやってきて、ちょうど今、俳優として第3ステージのスタートラインに立った感じですね。だって俳優を始めた当初は、ゴールデンのドラマでは絶対に通用しない男だっていわれてました(笑)。それが今では、いろんな作品で使っていただいて、CMにも出させてもらえるようになったわけですから。これからようやく俳優として本当に自分がやりたいこともできるようになるかなって思っています。

『服と賢一』は宝物のような本

  • 最近では俳優業とは別に、無類の服好きとしてメディアに登場される機会も増えました。昔からファッション誌に出ることに興味があったんですか。
  • ありましたね。メンノンモデルの大沢たかおさん、田辺誠一さん、マークパンサーさんとかにすごく影響された世代なんで。ファッション誌に出ることは、ある種のステイタスというか、芸能界入りしてからの目標の一つでもありました。私服で出るようになったのも自分から言い出したことなんですよ。ちょうど『半沢直樹』に出演した頃からときどきファッション誌に出させてもらえるようになったんですけど、そのときはスタイリストさんが選んだ服を着ていたので、「30日コーデ企画やらしてください。なんなら、1週間でもいいんで」って編集者さんに2年くらいしつこく言い続けて(笑)。
  • 今回発売になった『服と賢一』は、そんな滝藤さんだから実現したオール私服のスタイルブックなわけですが、滝藤さんにとってお気に入りの店で服を見たり、その日のコーディネートを考えている時間は、どんな時間ですか?
  • ときめきのひとときですね(笑)。その日に何を着ようか考えるのも楽しいですが、一番テンションがあがるのは、仲のいいショップスタッフさんと話をしながら買い物をしているときですね。やっぱりその道のプロと話をするのは面白いですよ。そして、そこで得た知識や聞いたことを、あたかも自分が考えたかのような顔をしてファッション誌とかで語っています(笑)。
  • 暴露しなくても結構です(笑)。
  • 今回の本のなかで着こなし10か条の一つに挙げた「紫はネイビー(一見、使いにくそうな紫もネイビーだと思えば万能)」も、たしかネペンテスで買い物しているときに言われたんじゃなかったかな(笑)。だから、逆にショップスタッフさんが変に気取っているところでは絶対に買わないですね。速攻、店を出ます(笑)。忙しい合間を縫っての買い物ですから、仕事を忘れて楽しむことを大切にしたい。店の方たちが自分たちの扱っている服をどれだけ深く愛しているのか。それを溢れんばかりの愛で表現して欲しいです!
  • 滝藤さんの服への愛が本物であることは、本を読めば明らかです。200体以上のコーディネートが掲載されているわけですが、同じような着こなしが一つとしてないことに驚きました。
  • 無理してコーディネートを変えようとか、この本のために何かを買い足したりしてないんですけどね。毎朝、着たいものをパパパッと決めて、編集者さんに「今日、どこどこで仕事だけど、撮影に来る?」って感じで撮ってもらっただけで。
  • 担当編集の方から伺いましたが。ここまでガチの密着撮影(173日!)でつくられた、しかも他の誰とも違う着こなしを楽しまれているスタイルブックは前代未聞だと思います。
  • こんな私生活の私服を撮ってるだけの本、誰が見たいのかはわからないですけど(笑)。もし、ファッションに関わる仕事に興味を持っているような若い子たちに、なにか少しでも面白いと感じてもらえたら嬉しいなと思っています。僕自身が映画からたくさんのことを影響されたように。ファッションはこんなにも自由に楽しんでいいんだって。僕にとってもこれは、2020年の夏から2021年の春にかけてのすごくいい想い出のアルバムですよ。アザーカットで家族の写真もたくさん撮ってもらったし、個人的にも宝物のような本になりました。

俳優として、
ここからが本当の勝負です

  • 最後に、今思い描いている俳優としての将来のビジョンがあれば教えてください。
  • 一番は“主演にこだわる”ということですかね。もちろんどんな役でもいただいたオファーを一つ一つ丁寧に積み上げるということは変わりませんが、何年かは主演に執着する時期があってもいいのかもしれません。動画配信サービスが制作する映画やドラマにも挑戦したいです。
  • 動画配信サービスのオリジナル作品は、クオリティの高さに惹かれるわけですか?
  • それもありますし、世界中の人たちに観てもらえるじゃないですか。
  • 海外の作品に出演することにも興味はありますか?
  • もちろん、あります。Netflixのオリジナル作品なんかもめちゃくちゃ観まくってます。特に韓国の映画やドラマは、べらぼうに面白いですね。
  • 近年だと韓国映画の『哭声/コクソン』で高い評価を得た國村隼さんが、海外の話題作に相次いで出演されてますよね。
  • そうですね。『MINAMATA-ミナマタ-』や『ケイト』にも出てらっしゃいますよね。どの作品もとても刺激的でした。俳優をやっていれば、誰もが一度は海外作品に挑戦したいと夢見てると思います。でも、どれも出会いや巡り合わせだと思っているので、今は日本でいただいてる仕事を一つ一つ大切にやっていきたいです。そして、いつか海外の作品に呼んでもらえたら最高の俳優人生ですね!
Photography : Takeki Yasuda,  
Interview & Text : Daisuke Inoue,  
Hair & Make-Up : Tsugumi Nasuno(Bellezza Studio)