内藤カツがニューヨークへ移住したのは1983年、本人が18歳のときだ。キッチンシェフとしてアメリカでの生活を始め、5年後にはマンハッタン北部のハーレム地区に定住するようになった。当時のハーレムは1970年代に受けた深刻な経済荒廃から回復したばかりで、その20年後に地域の黒人社会が体験する激しい転換期の前夜にあった。  ハーレムでの内藤は、居住者でありながら部外者だった。移り住んでから毎日、近所の通りをなぞるように歩き続けた。そうすることで、周りの人々との距離を徐々に縮めながら、自身の住むコミュニティーにゆっくりと溶け込んでいったのだ。二年の月日が流れた頃、ハーレムはようやく内藤に穏やかな顔を見せるようになった。コミュニティーとの間に生まれた朧げな信頼関係が、はっきりとした輪郭を見せたとき、内藤は初めてカメラを手にハーレムの街へと繰り出した。内藤がハーレムの一員として歓迎された瞬間だった。そして、移りゆくハーレムの姿を記録する日々が始まった。 『Once in Harlem』は、モノクロのランドスケープと背景を活かしたエンバイロメンタルポートレイト、そしてホワイトバックのポートレイトの3つから構成されている。ホワイトバックのポートレイトは、内藤本人が敬愛するリチャード・アヴェドンの『In the American West』さながらに、野外で即興的に白い布を垂らした言わば青空スタジオでのポートレイトである。居住者としてのフラットな目線で切り取られた写真には、当時のハーレムを取り巻いていた空気が漂い、同じ匂いのする人間への共感が滲む。内藤は撮影の際、「お互いの魂を見つめ、別次元の関係性を築く」と言う。NYの娼夫を記録した処女作品集『West Side Rendezvous』でも明らかなように、民族性、性別、社会的地位などの境界を超えて、自身の主題/被写体を受け入れ、その心の奥底を見つめることができるのは内藤の稀有な能力である。内藤によってフィルムに写し取られた魂は永遠の命を宿し、いつの時代も見る者に血の通った対話を促す。  内藤の二冊目の作品集となるこの『Once in Harlem』は、アメリカの人々と慣習を年代的に記録した歴史的に非常に重要な作品集であると同時に、撮影から四半世紀を経た今、異国生まれの一人の写真家がアメリカ写真の伝統を継承したことを明示している。

NEPENTHES
青柳徳郎

Words by Katsu Naito

 ニューヨークに住み始めて三年が過ぎようとしている頃、ハーレムに探索に出かけた。当時の生活環境からすると肝試しという言い方が適切かも知れない。ニューヨークなのに人もまばら。
当然のことながら黒人しかいない。高い建物が少ないせいか空が大きく見える。視界が広いからか、ビルの圧迫感がないからなのか、廃墟が点在しているにも関わらず背筋が凍りつくほどの緊張感はない。
 バックパックには35ミリカメラとレンズ2本。露出計とTRI-X が数本。安全のためカメラは撮りたい衝動に駆られた時のみ周りを見渡して、身の安全を確保してから取り出す。その行動が途中から嫌になった。隠れて撮影しているようだ。何か不自然。無性にハーレムを撮影したいと思った。  当時住んでいたアッパーウエストサイドにあるアパートに戻ってから、ハーレムは住みながら撮影する場所という気持ちが確信に変わった。それから1年しばらくたった1988年の4月にハーレムでの生活が始まる。  五年半のハーレム生活で、土地に、住民に受け入れてもらえるまで二年以上はかかった。映画でしか馴染みがなかった光景が現実の生活の中にある。ドラッグ、拳銃、マシンガン、殺人。心臓が飛び出す思いは日常と隣り合わせ。慣れてしまうのか、麻痺してしまうのか、発砲後の火薬の匂いがアパートに漂うも、気持ちの振動は時間と共に薄れてしまう。  ようやくハーレムに慣れてきたと気持ちで感じられるようになってからはペンタックス67を大きなジッツオ三脚に付けて歩くも緊張感はない。ようやく受け入れてもらえたという身勝手な解釈。カメラバッグなしで歩くハーレム。ここから撮影が始まる。1991年のことです。  “Once in Harlem” は1990年代初めから中頃にかけて撮影されたものです。今となっては面影すらなくなってしまったハーレムがハーレムと呼べた最後の時代を共にした、そんな空気を感じ取っていただけましたら幸いです。

内藤カツ

introduction

内藤カツ KATSU NAITO

1964年、東京都大田区生まれ。
1983年渡米、言葉の不自由さを埋める手立てとしてカメラを手に取る。2011年、80年代のNYの売春夫を撮影した『WEST SIDE RENDEZVOUS』をWILD LIFE PRESSより刊行。NY在住。

Katsu Naito Born in 1964 in Tokyo, Japan. He started photography after moved to the U.S. to bridge a language barrier. In early next year, he will publish his second photo book“IN HARLEM”from TBW BOOKS.
https://www.katsunaito.com
https://www.facebook.com/katsu.naito.37