ONE ROD ONE LINE ONE HOOK

INTERVIEW CHOJI HOSOYAMA ひとつのジャンルを作ってしまう人。そういう存在がどんな世界にもいる。竿一本、糸一本、針一本で、前人未到の超大物釣りの世界を切り開いた細山長司さんもそのひとり。大河を渡り歩き、長竿で強力な渓魚と対峙する。船やリールを使う釣りとは対極にある、必要最小限の道具だけでの釣りが信条。海外の釣り師達に"SAMURAI"と呼ばれる日本のカリスマが、これまでの旅路を振り返り、その哲学を語る。気さくで穏やかな語り口とは裏腹に、その刀は今も確かに磨かれていた。

Interview & Text : Tokuro AoyagiPhotography : Arata Suzuki

もともとは、日本の釣り方でどれだけ大きいのが釣れるのかな?というところから始まったんですね。もちろんルアーもフライもやったことはあるのですが、魚とのやり取りに何か満足できない。リールを使う釣りでいえば、これ以上糸が出ないような究極の状態。そんな状態で、どこまで大きいのが取れるのかな?って考えて、自分に竿一本、糸一本、針一本というテーマを与えたんです。 そして、自分でかけた魚は最後のフィニッシュまで一人でやろう、つまり、タモ(網)で魚を掬うところまでひとりでやる。誰かにやってもらった時点で、魚との勝負では自分の負けだ、というようにだんだんとそのルールも厳しくしていったんです。北海道でイトウ(日本最大の淡水魚として知られる幻の魚)を釣ったときも、ガイドをしてくれた人がタモを持っていたのですが、『ちょっと待って、自分で掬ってみるから』と言って、自分で取りました。ただ、残念ながらキングサーモン(サケ・マス類で最大の魚 和名:鱒の介)や、スチールヘッド(海へ降海して産卵時に川に戻る大型の降海型ニジマス)とか、ああいうサイズになってくるとちょっとそれは無理ですね(笑)

魚とできるだけ対等に

自分自身と築き上げたテクニックで、魚とできるだけ対等に戦いたい。細山さんの釣りには、その信念が貫かれている。主戦場は川。ターゲットはトラウト類(サケ・マス類)。文明の力は極力排除し、あえて船やリールを使わず、どこまで大きな魚を釣り上げることができるのか。竿一本、糸一本、針一本で、どんな大物ともやり取りする。細山さんの釣りとは、その挑戦の歴史である。

本流での大物釣りは、格闘技みたいなものです。道具は必要最小限で、魚と一対一のやり取りをするんです。圧倒的なパワーの大物が相手となると、自分の力も竿も糸も限界、竿をギューッと引き上げても、グゥーッとのされて、何か自分を試されているような感覚ですね。 リールは強烈な引き込みがあったときに逆回転して糸を送り出し、糸が切れない仕組みになっています。延べ竿(竿先に糸を結んで使用する釣竿)なら、そんな状況でどうしたらいいのか。自分が前に出て魚が引く力を竿に溜める、魚が近づいてきたらタメを効かしたまま下がる、そうやって糸を同じテンションに保っているうちに、魚が弱ってくるんじゃないかと考えたんです。試行錯誤しながら経験を積むにつれ、前にブツブツと切られていた糸が切られないようになり、明らかに技術的なものが向上してきたことを感じるようになりました。そして、実際に大きな魚がだんだんと取れるようになってきたんです。 渓流釣りの醍醐味は、魚がどこにいるのかな?と自分で探しだすところです。海釣りだと、船頭さんが船でポイントに連れて行ってくれて、竿だせーと言われた時に釣り糸を垂らすような感じなので、何だか釣らせてもらっているという気がしてしまうんです。それに比べて渓流釣りは、川までは車で行くけど、そこからは自分の足で歩いて、広い川のどこに魚がいるのか?この時期ならどこだ?と探っていく釣りなんです。魚とのかくれんぼというか、魚のことを色々と想像しながら、狙った一匹を探し出すのが堪らなく楽しいんです。 自分で見つけたポイントで狙った魚が釣れたら、それが一番嬉しいですね。ここだったらいっぱい釣れるよって、誰が見ても分かる場所で釣るのでは、ちょっと満足できないんです。それに、良いポイントには釣り人もたくさん集まるんです。狙った魚の数より人の数の方が多いなんてときは、魚を分け合う形になるんですよね。そうすると一級ポイントも、二級にも三級にもなってしまいます。魚が休むところは他にも絶対にあるはずなのですから、人が多い場合は誰もいないところでそういったポイントを探していった方が良いですね。場所も覚えるし、引き出しもいっぱい出来てきて、先々の自分の為になると思います。その為にも、同じ川に何回も通って、自分の足で場所を覚えるのが大切です。 長いこと同じ川に通い詰めていると、自分で釣った場所は必ず覚えてるんです。去年ここで釣れたなあという記憶が溜まってきて、だいたいハズレはないです。釣りが上手な人は、そういう情報を自分にたくさん持っているんです。たまたまじゃなくて、釣れるべくして釣れるんですね。自分が振った竿で、自分のつけた餌に、狙った大物をかけた感触というのは、言葉にできないですね

ヤマメとの出会い

本能の赴くまま純粋に、そしてストイックに自らの哲学を追求してきた細山さんの言葉は、現代社会を生きる人々の野生を刺激する。その源泉は魚と戯れた少年期の思い出。渓流の女王ヤマメに出会い、その虜となった。

生まれ育ったのも、ここ清瀬です。当時は祖父と父と母と弟、そして父の弟(叔父)の六人で暮らしていました。その叔父が釣り師だったんです。釣りをしながら私をおぶって御守りをしてくれました。肩ごしに見た叔父の横顔を今でもよく覚えています。口に割り箸を咥え、その先にはうどん粉に酢を少し入れて練ったエサが付いてました。糸に引かれてぴょーんと飛んで来た魚を、叔父が掴んで外し、そのハリをまたくりくりっと割り箸の先のエサに絡ませて、さっと川に投げるんです。その光景を今も思い出します。 初めて釣りをしたのは、小学校一年生くらいでした。父と一緒だったのですが、行く途中に篠竹の林があって、父がその竹の枝を払って竿を作ってくれました。1メートル単位で売ってくれる安い糸を買って、針も当時は一本から売ってくれましたね。浮きは手作りでした。山吹の芯を抜くと発砲スチロールみたいな部分が出てくるんですが、それに楊枝を指して、ゴム管を使って浮きにしていました。魚は主にヤマベ(オイカワ)を釣っていましたが、自分で初めて釣り上げた魚はフナでしたね。 自然に囲まれた環境だったので、学校から帰るとランドセル放り投げて、すぐに川に走って行く毎日です。魚を釣って帰ると晩のつまみになるので、お前上手いなあと父におだてられ、それが嬉しくて。17才の時に初めてヤマメを釣ったんです。奥多摩湖上流の玉川という小さな川に、先輩に連れて行ってもらって。イクラを渡されて釣ってろと言われ、ポタッと川に落としたら、ククッときて。10センチくらいの小さなヤマメでしたが、こんな山の中に魚がいるんだってこと自体に驚いたし、とても綺麗で感激しましたね。 それですっかりヤマメに魅了され、ヤマメ釣りに没頭するようになりました。18才になって車の免許を取ったら、もう休みの度にひとりで色々な川に出掛けて行きました。その頃は大工をやっていましたね。叔父も大工をやっていて、どうもサラリーマンは合うような気がしなかったんで(笑)、元々職人になりたいなあと思っていたんです。 最初はやっぱり源流志向でした。上流を目指して、一週間くらい山に泊まり込んでイワナ釣りをしたり。大工の後の仕事も、電気屋さんとか鳶とか、家を作るような仕事をやっていて、どこかに所属しててクビになる訳じゃないので、自分の好きなように仕事も釣りもやってましたね。 そんな毎日を過ごしていた20才くらいの頃、叔父と奥多摩湖ダムの下の多摩川へ釣りに出掛けました。そのときはハヤを釣っていたのですが、自分たちの竿の下に大きな魚が二匹泳いでいるのが見えたんです。叔父に聞いたら、『あれヤマメだ!』と。ヤマメがそんなに大きくなるとは知らなかったのでとても驚きました。ハヤを釣りにいってたから、練りエサしかもってなくて、練りをポタンと落とし前から流してみても、魚がスーッととそれをかわすんですよね。ヤマメが川虫を食べてるんだというのは、後で調べて知りました。 本流にはあんなにでかいヤマメがいるんだ、あれを釣ってみたい、という思いが強くなって、だんだんと本流で大ヤマメを狙うようになっていったんです

"本流釣り"の夜明け

このことがきっかけで、細山さんは川幅が30mを超えるような本流域に自身のフィールドを移す事となる。80年代当時、ヤマメやアマゴ、イワナなどの渓魚を狙った釣りは一般に、"渓流釣り"と一括りにされていた。エサを使ったミャク釣りなら竿は4~5m、釣り場は川の上流域にある源流や支流などの狭い渓流であった。しかし細山さんは、それよりも下流の広大な本流域の方が水量も多く、大ヤマメが数多く生息しているということを経験的に感じ取っていた。専用の竿もないままひとり本流に立ち、まだ見ぬ大物へ情熱を燃やし続ける。そして、ついに一尾の尺ヤマメを手にした。

22才の時にやっと、あのとき叔父と見たような33cmのヤマメを釣りました。ウロコがツルッとしてて、綺麗な天然のヤマメでした。その時は、6.10mくらいの竿でした。ひとりでかけてやり取りして掬って、生かしておく為にビク(魚カゴ)に入れたんですけど、縛ったビクが大丈夫か気になっちゃって、何回も見に行ったりして。次の餌を付けるときも、興奮で手が震えていましたね。 それからはもっと大きな魚を釣ろうと、どんどんのめり込んで行きました。シマノの鮎竿を持っていたので、そうだ!川が広くて遠くまで届かないから、あれを使ってみようと思いついて、9mの鮎竿を持ってひとりで多摩川に通うようになりました。竿は400g位あって、片手では持てないんで、自然と今の両手持ちの"本流釣り"スタイルになっていきました。 本流でヤマメなどを釣ってる人はほとんどいませんでしたから、手付かずで釣りたい放題という感じでした。釣る人がいないので魚もスレていませんから、どこで竿を出してもどんどんかかって。今はなっかなか大きいものは釣れないですから、良い時代に釣ったのかなあと思います。 たまに本流で釣り人に会ったりすると、『この間も来てたよね、何釣ってるの?』とよく聞かれましたね。ヤマメと答えると、決まって『ヤマメなんているの?ハヤだと思ってた』と言われました。『今度教えてもらえないかなあ』、『教えるも何も一緒に隣でやればいいじゃん』、といったような具合でだんだんと仲間もできていきました

今では渓流釣り師の誰もが憧れるサクラマス(海へ降海して産卵時に川に戻る大型の降海型ヤマメ)やサツキマス(海へ降海して産卵時に川に戻る大型の降海型アマゴ)なども、その生態はほとんど知られていなかったのだ。

魚についても、この頃からだんだんと分かるようになってきました。サツキマスが釣れることで有名な、吉田川とか長良川(共に岐阜県郡上市)の人たちも、当時はこの時期になると急にアマゴの大きいのが釣れ出す、という感覚だったんです。それらは、郡上アマゴと呼ばれていました。ところが、これは普段はここにいなくて、この時期(五月頃)になると海から上がってくるアマゴなんだ、ということが分かってきて、サツキマスという呼ばれるようになっていったんですね

インタビューをした自宅の部屋に飾られていたこの写真は、カメラマン丸山剛氏が撮影した36才当時の細山氏。当時の写真からも、そのストイックさが伝わってくる。

忘れられない魚たち

かくして"本流釣り"は生まれた。鮎竿を両手に握り、多摩川を原点に試行錯誤の日々を繰り返す。その後、郡上釣りと呼ばれる職業漁師たちの釣りと出会い、90年代にそのスタイルはさらなる進化を遂げた。本流を舞台にそれまで誰も目にしたことのなかった大物を釣り続け、ついに94年、リールのない延べ竿で釣るのは絶対に不可能だと言われていた海から遡上したサクラマスを、富山県・小川で釣り上げる。00年には山形県・赤川で、延べ竿によるサクラマス日本最大記録(73.5cm)をマークし、その名声とスタイルは不動のものとなった。その釣果と比例して、サクラマスは"本流釣り"を語る上で欠かせない、誰もが憧れるターゲットとなっていった。

サクラマスやサツキマスなどは海から川への遡上魚です。当然、ある川のポイントにいきなりいる訳ではなくて、海からずーっと休みやすみ泳いでくる訳です。釣りでは、その魚が遡上中にどこで休むのかというのがポイントです。休んで定位してるときに餌をかじったりするんです。戻りヤマメ(短期降海型ヤマメ)なんかは餌を食べるのですが、サクラマスやサツキマスなどは遡上中ほとんど餌を食べません。邪魔な物に威嚇で噛み付くんです。だからそれらを釣るときには、何度も何度も魚の前に餌を流してイライラさせるんです。きっと魚はその度に餌を避けたりしていると思うのですが、そのうちうるさいって感じで齧るんですよね。それでやっとかかるっていうのが、サクラマスやサツキマスの釣りです。 忘れられないのは、95年に米代川で釣った65cmくらいのサクラマスですね。かけたときから魚が暴れ回り、竿が右往左往に大きく揺れるんです。自分でもそんな風に動かせないというくらいの竿の揺れ方で。水深のある川でもなかったし、今でも魚がいったいどんな動きをしてたのか全く分かりません。結局、15分とか20分かけてようやく取ったんです。手尻(糸の竿より長い部分)を1m以上出していたので、なかなか自分が届くところまで魚を寄せられませんでした。途中、恩田さん(*1)の『焦ったらいかんぜ、魚は死ぬまでぶら下げてれば取れる。そこまで我慢できるかどうかや』という言葉を思い出しながら、必死に持ちこたえて何とか取ることができました。後ろに木があって、竿が当たるのが心配だし、とても苦労しました。その分感動も大きくて、生涯忘れられないですね

(上段)07年のアラスカ遠征時レイククリーク川でキングサーモンと格闘する細山氏。満月のように竿尻までしなった竿が、その激闘を物語る。(下段右)釣り上げたキングサーモン、記録は111cm。細山氏とキングサーモンとの激闘の模様は「サムライと呼ばれる本流大物師の挑戦 ~アラスカで巨大キングサーモンと勝負~」として、ウェブサイト〈OWNER MOVIE〉で閲覧可能。必見。そして、ウェブサイト〈SHIMANO TV〉でも「本物大物師の挑戦!カナダの清流にスチールヘッドの影を追う」にて、カナダ・ケーラム川におけるスチールヘッドとの激闘が見れる、こちらも素晴しい映像。(下段左上)北海道天塩川でイトウを釣り上げ、全渓魚を制覇。撮影 / 神谷悠山氏。(下段左)本流釣りの夜明け前、77年に多摩川で釣り上げた大ヤマメとの一枚と、その23年後に延べ竿での日本記録となった73.5cmのサクラマスを手にした細山氏。

開高健の姿を追ってアラスカへ

その後、海外にも挑戦の場を広げ、06年にはアラスカへ。1mを超える王者キングサーモンを延べ竿で釣り上げるという前人未到の快挙を成し遂げ、日本中に衝撃を与えた。続いて08年には、カナダの怪魚スチールヘッドも制する。11年には北海道で長年の夢であったイトウを釣り、日本に生息する全ての渓魚を制覇。その動向は常に注目を集め、その輝かしい釣果に日本中の釣りファンが歓喜した。それと歩を合わせるように、"本流釣り"というジャンルはしっかりと日本に根付いていった。

釣り上げるまで一番苦労したのはキングサーモンですね。シマノさんの番組でアラスカに行った時に釣ったんですが、これがそうです(後ろの剥製を指差しながら)。記録は110cmですね。通常、魚のサイズは、口先から尾びれの端の一番長いところで測るのですが、私はあえて一番短い部分、尾びれの真ん中まででいつも測ります。凄かったですねえ。今までに味わったことのない凄まじいパワーでした。 今までアラスカには四回ほど釣行しています。キングサーモンを釣りたいと思ったのは、開高健さんがきっかけなんです。まだ私が30代で、主にイワナ釣りをしてた頃でした。『河は眠らない』(1984年)の映像のなかで、開高さんが釣り上げたキングサーモンを背中に背負っているのを見て、あ~あれって延べ竿で釣れないのかなあ?と思ったんです。開高さんは奥只見(新潟県 銀山平)と関わりが深く、北ノ又川の近くで資料が公開されているのですが(遊覧船銀山平船着場 開高健メモリアルコーナー)、そこで色々な資料を見たりもしました。『オーパ!』なども勿論読んだことがあって、その釣りざまが好きでしたね。 開高さんは知っての通りルアー釣りの名手です。私は延べ竿での釣りですが、たくさんかければ延べ竿でも1匹くらいは取れるんじゃないかと考えました。つまり、10匹かけて10匹全部は無理でも、1匹くらい取れる可能性があるんじゃないかという考えです。 しかしながら、釣ってみたいとは思っても、キングサーモンがいるのは海外です。他に追いかけていた魚もいましたし、なかなか挑戦する機会は巡ってきませんでした。そして何より、釣るにはキングサーモン専用の延べ竿を作る必要もあったので、夢が実現するまでには長い月日がかかりました。 シマノさんの竿の開発のお手伝いをするようになってしばらくしたとき、担当の方にキングサーモンを釣るのが夢だという話をして、遊び半分でもいいから竿を一本作ってくれないかとお願いしてみたんです。だめ元で話をしたのですが、意外にもシマノさんは了解してくれました。そんな経緯で出来てきたのが『サーモンスペシャル』、それにもうちょっとパワーをつけて貰って完成したのが『鱒之介』(*2)です。これでやっとキングサーモンに挑戦できるぞと、その竿を持ってアラスカに自分一人で行こうとしていたところ、シマノさんのスタッフも一緒に行くということになり、結局06年にシマノさんのTV番組収録も兼ねて、アラスカへ向かう事になったんです。 実際の釣りを取材してもらう機会は多いのですが、不思議とそういう時に釣れないということがないんです。その時も110cmのキングサーモンを取ることができたのですが、カメラが回っていてもプレッシャーは全然感じなくて、そういうときに限って良い魚が釣れるような気がします。見られていた方が、かえって釣りにのめり込めるタイプなのかもしれません

リールを使った釣りでさえ、キングサーモンを釣り上げるまでには数十分を要する。それを延べ竿で釣ろう、という発想自体がありえないものだ。全長8mを超える名竿『鱒の介』をしならせ、見事キングサーモンを仕留めた細山さんの姿に、現地アラスカの人々は侍のイメージを重ねた。少ない道具だけでの釣りだからこそ、竿は細山さんにとってまさに侍の刀のようなもの。釣り具の大手メーカーである〈シマノ〉とは、長きに渡りフィールドテスターとして竿の開発に携わっている。

シマノさんが、本流で大物を釣る竿を作っていきたい、ということだったので協力させて頂いています。恩田さんとの間に約束事があって、『郡上竿(※3)をやるで、この竿より良い竿を作ってくれ』と言われていましたから、私としても願ったりかなったりで、フィールドテスターという役割をやらせてもらっています。 実は出来上がった製品というのは、なかなか自分では使う機会がないんです。というのも、釣りに行く度にシマノさんから新しいプロトタイプを渡されるんです。その後に担当の方からすぐ『使ってもらえましたか?』と電話がかかってくるので、出来上がった余韻に浸っている暇はありません笑」 今も釣りに行きたいときは毎日のように行く。季節の移り変わりを体全体で感じながら、一年を通して様々な魚を追いかけている。釣りが自然への理解を深め、その興味の幅は一層広がり、まさに自然そのものを楽しんでいる。 「毎年だいたいネコヤナギが咲く頃に、多摩川から釣りを始めます。多摩川で今年もちゃんとしたヤマメに会えたというのを確認した後は、各地のヤマメやアマゴに会いに出掛けて行きます。トータルして一年を通してヤマメをやっていて、その時期その時期で少しずつ他の魚種もやっているという感覚です。 私が主催しているクラブ〈多摩川山女魚道〉というのに所属してる人達が、北海道から沖縄まで全国に120名いるので、各地からたくさんの情報が入るんです。サクラが咲くと、サクラマス、サツキが咲けばサツキマスの季節です。夏場になって渓流どころじゃないなあとなると鮎もやって、お盆にはアメマスをやってみたり、秋口になると大物狙いになってサケやカラフトマスを狙って北海道にといった具合です。 釣りをしながら花や木を知り、山菜などにも興味が湧いて。ウド、ゼンマイ、フキ、水菜など、食べられる物は川にたくさんありますね。特にキノコは、その為だけに何日も出かける事があるくらいで、舞茸、松茸、香茸、なんでも採ります。いつも単独で、自分だけの場所に行くんです。キノコを見つけると、まず誰もいないか周りを確認して、携帯でパシャっと撮ってから採るんです(笑)

細山流 本流テンカラ

本流大物釣り師として知られる細山さんだが、〈SOUTH2 WEST8〉が渓流釣りの導入として紹介している"テンカラ"(毛バリを使った日本の伝統的な釣り)にも造詣が深い。そのキャリアは本流釣りとほぼ変わらず、そのスタイルはやはり常識にとらわれない柔軟性に満ちていた。

実は私も餌釣りとほぼ同じくらい長く"テンカラ"をやっています。海外などでも"テンカラ"は注目されているみたいですね。ちょうどこの間も、多摩川でヤマメの稚魚放流をしていたときに、そろそろ"テンカラ"の時期だよなあと思ってやってきたところです。 私の仕掛けは非常に独特です。ハヤ竿を自分でテンカラ竿に改良して、竿が4mちょっとあるんです。そこに8mのライン、その先に1ヒロ(両手を広げた長さ)までないくらいの先糸を付けています。つまり、竿先から毛バリまで9mくらいあるんです。場所も源流や上流でやるのではなく、その仕掛けを使って本流で"テンカラ"をやってるんです。 もちろん毛バリも自分で巻きます。5cmくらい沈めた毛バリを、アクション付けて引いてやるんです。竿から水面へ弛んだラインをポン、ポン、ポンと弾ませて、水中の毛バリをフワッ、フワッと動かす要領です。魚は毛バリがフワッとしたときにガッと咥えるので、次にポンと竿先を弾ませたときに魚がかかり、そのまま竿を立てれば魚がかかっているという具合です。つまり、誘いと合わせが一体です。ラインが長いので、毛バリは正確には見えないんですが、あの辺にあるよなというのは分かるので、魚が毛バリを咥えてグッと反転するのは見えます。毛バリを水面に浮かせて使う場合もあるのですが、そういう時は魚も毛バリを素早く咥えます。なので、毛バリは早合わせだという人の気持ちも分かりますが、水の中に沈ませてフワッ、フワッと動いてる毛バリは、魚もゆっくりと咥えますね。 去年、鬼怒川に仲間と二人で行って、本流竿でヤマメを釣っていたのですが、ボチャッと音がして、またすぐボチャッと。それが、だんだんだんだんボチャッボチャッとこっちに近づいて来るんです。こりゃ餌釣りなんてやってる場合じゃない車行ってくる!、と言って自分のテンカラ竿を持ってきて、こっちに来るのを待ち構えて、届くところに来たときに毛バリをピュッと投げたら、ググゥーッとかかって、もう40cmくらいのぶっとい戻りヤマメが連発でした。見てた仲間がちょっとそれやらせて!って言うから貸したら、かけることは出来ないんだけど、ゴツッと食ってくるのが面白から返してくれなくて(笑)、そのうち魚影がどんどんどっかに行ってしまいました。本流釣りの方が先に知られる形になっていますが、私自身"テンカラ"も大好きで、これからの季節が楽しみですね

(上段左)4m強のハヤ竿を改造した自作のテンカラ竿。コルク部分には「長」の刻印が。(上段右)自作のテンカラ毛バリは、茶系の逆さ毛バリと白系の毛虫を模した毛バリの二種類。(下段左)自ら竹を切り出して編みあげたカワムシ用の美しい餌箱。漆が塗られた蓋には、アワビの貝殻で作られた川魚のワンポイントが。伝統工芸のようなその美しさゆえ、人から頼まれて作ることも。(下段右)釣りへの情熱は無尽蔵で、大物釣りとは真逆に見えるワカサギ釣り師としても知られている。写真の美しい竿や電動リールもすべて細山さんの手作り。冬場に渓魚が禁漁になることをきっかけにのめり込み、「糸ふけとかアタリの出方は、本流釣りの参考になります」という。今年も宮沢湖で1日1018匹を釣り上げた。

トラウトの聖地 北海道

〈SOUTH2 WEST8〉の本拠地、北海道。NEPENTHESが特別な思い入れを持つこの土地は、釣りの世界でもトラウトの聖地として広く知られている。北海道ネイティブの美しい魚達、そのパワフルなファイトに日本中の釣り師が思いを馳せる。

魚の数と大きさが、北海道と本州とでは全くと言っていいほど違うんです。圧倒的に数が多くて、サイズが大きいんですね。本州ではお目にかかれないような魚にも、北海道ではたくさん出会えます。本州では味わえない、日本のなかの外国といった感じですね。 川の大小に関係なく、いつなんどき大きな魚がかかるか分からないので、私は北海道に行ったら必ず、どんな川でも『鱒の介』を使うんですよ。サケやカラフトマス、サクラマスなど以外、アメマスやニジマスなどでも70cmとか80cmとかの凄いのがいる訳ですから、そんなのがかかったら普通の仕掛けじゃ歯が立たないんです。そんな大物がかかってもいいように、北海道では竿も仕掛けも特別に準備してやっています。 阿寒川など以外では、ほとんど釣り券(*4)が要らないですし、釣りがしやすい環境でもありますよね。禁漁河川などに気をつければ、ほとんどの川で手続き無く釣りが楽しめます。ただ、熊に気をつけなければいけないですね(笑)。 97年に忠類川でサケ釣りをしてから、今も毎年通ってますね。今年も天塩川に行きたいと思ってるんです。なんとか、メーターオーバーのイトウを釣ってみたくて

夢想四尺

数多く釣っても、自分にとって感動の無い魚では意味がない。細山さんが求めている魚は、自分の思い出に残る魚だ。ターゲットを設定し、それをクリアーする度に、またむくむくと新たなターゲットが頭をもたげる。終わりのない大物釣りの魔力が、細山さんの人生を変えた。今日までの自分を乗り越えるために、明日もまた川に立ちこむ。

私の場合は、たまたま撮影があったりして他の人が見る機会が多くなってしまいますが、他人にどうだと見せることが目的じゃなくて、結局は自分が満足できるかどうかですね。 ある程度大きいのは釣ってきているとは思うですが、さらに大きいのを釣ってみたいなと、やっぱり今も思っているんです。今まで釣ってきたそれぞれの魚種の、さらに大きい魚が釣れればなあと思っています。イトウの100cm、キングサーモンの120cm、終わりがないですね。 実はあるところから、来年モンゴルのタイメン(※4)釣らないかという話があるんです。もう私もだんだんメーター越えとかの大物がかかったらひっくり返ってしまうから、行くなら早くしてくれるように話してあります(笑)。それこそ、何匹かかかれば、一匹くらい何か取れるといいなと思っています。そのくらいの気持ちでいないとだめですね。 私の夢は、夢想四尺(120cm)ですから。タイメンで120cmが釣れるようなことがあれば、ある程度到達点が見えちゃうのかな。もちろんその時も、サイズは尾びれの真ん中で測ります(笑)

注釈: *1 恩田俊雄:1915年生まれ。細山さんに多大な影響を与えた伝説の釣り師。岐阜県郡上八幡でアマゴの本流釣りを確立。技術の高さと自然への思慮深さから「釣聖」と呼ばれた。*2 SUPERGAME 鱒之介:〈シマノ〉が技術を集結し、細山さんと作り上げた最強の本流竿。全長8.3m。*3 郡上竿:岐阜県郡上市の職漁師たちが使っていた竹で作られる長竿。*4 釣り券:漁業権が設定されている河川で釣りをする際に必要な遊漁券。*5 タイメン:学名アムールイトウ。体長2mに達すると言われているイトウに似た怪魚。イトウとは違い、降海しない純淡水型。モンゴルやシベリアなどの河川に生息。1986年〜87年、開高健もモンゴルへこの魚を追い、ルアーで120cmのタイメンを仕留めた。漢字で魚偏に鬼と書く。

細山長司

1949年東京都清瀬市生まれ。 サクラマス、サケをはじめとした本流超大物釣りのスタイルを確立した先駆者であり、その名付け親。その飽くなき探究心と釣技に魅せられたファンは数多く、日本の渓流釣りにおけるカリスマ的存在。日本渓流連盟所属、多摩川山女魚道道長。