音楽とファッションを通じた
若き日のイギリスとの出会い
4歳の年齢差と生まれ育った環境の違いはあれど、ともに10代のとき、『Made in U.S.A catalog』*を入り口にしてアメリカのファッションやライフスタイルに深く傾倒していくことになった清水慶三と鈴木大器。雑誌を隅々まで読み、インポートショップに足繁く通い、“憧れのアメリカ”を追い続けていた二人の少年は、どのようにしてその興味の範囲をイギリスにまで広げていったのか。まずは、それぞれのイギリスとの出会いのエピソードから。 *1975年に読売新聞社より刊行された、当時のアメリカン・ライフスタイルをカタログ形式で紹介した伝説のムック本。
- 最初に、お二人がイギリスのカルチャーに興味を持つようになったきっかけを教えてください。
- 清水慶三(以下:KS)「やっぱり一番のきっかけは音楽ですね。大器なんて特にそうじゃない?」
- 鈴木大器(以下:DS)「そうですね。20歳ぐらいでハマって、しばらくはほぼイギリスの音楽しか聴いていなかったです」
- どんなアーティストを聴かれていたんですか?
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ECHO & THE BUNNYMEN『PORCUPINE』(1983)
OST『小さな恋のメロディ』'MELODY'(1970)
- 「エコー&ザ・バニーメンとか、いわゆる“ポストパンク”のバンドですね。当時はイギリスのヒットチャートがアメリカよりも先に日本に入ってきていたので、新しく登場したアーティストの情報を結構早くに知ることができたんですよ」
- 「ちょうどその時期に、新宿のツバキハウスで〈ロンドンナイト〉*が始まったりもしたしね」*音楽評論家の大貫憲章が1980年にスタートした日本初のロックDJイベント。
- 清水さんとイギリスの音楽の出会いは?
- 「最初に聴いたのはビートルズとローリング・ストーンズでしたが、それ以上に衝撃的だったのがレッド・ツェッペリンとピンク・フロイド」
- 「いきなり渋いですね(笑)」
- 「実家の向かいの息子さんが、当時としては珍しく海外のロックにすごく詳しい人だったんです。年齢は6、7歳くらい上だったかな。その人がハードロックとかプログレとか知らない音楽をいろいろと教えてくれて。なかでも、レッド・ツェッペリンは音がとにかく過激で、他のバンドとは違うカッコ良さがありましたね」
- 「レッド・ツェッペリンは僕も中学の頃に初めて聴いて、かなり衝撃を受けました」
- 「あと、ジャンルは違いますが、ビージーズも好きでした。きっかけは、ちょうど中学1年の頃に日本で公開された『小さな恋のメロディ』という映画で、たまたま自分と同い年だったこともあり、主演のマーク・レスターに憧れちゃって(笑)。それでサウンドトラックを担当していたビージーズも聴くようになったんです」
- 「憧れの存在といえば、僕はポール・ウェラーかな。中野サンプラザで行われたザ・ジャムの来日公演(1980年~1982年)は、3年連続で観に行きましたし。バッヂをいっぱい付けたM-51パーカを着て(笑)。ポール・ウェラーは、音楽も好きだったけど、それ以上にファッションも含めて一番カッコ良いアーティストって感じでしたね」
- 清水さんにも自身のファッション観に影響を与えたようなイギリスのアーティストはいましたか?
- 「ミック・ジャガーですね。特に80年代の普段着がすごく好きでした。何かの雑誌で見た、黒のテーラードジャケットにロイヤルスチュワートのシャツを着ている姿がとにかくカッコ良くて。彼の場合、ステージ上でもプライベートでもいろんな格好をしてきたけど、どの時代も好きです」
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Playlist listed in the image book of <NEEDLES> 2011 Fall Winter
- 「ミック・ジャガーは男から見ても色気がありましたよね。デビット・ボウイなんかもそうだけど」
- 「あとは、元ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーとかね。当時、西麻布にトミーズハウスというDJバーがあって、そこにいたオシャレな人たちはみんなブライアン・フェリーっぽい格好をしていましたよ。ビッグサイズのシャツを着て2プリーツのパンツを穿く、みたいなスタイル。アメリカにもカッコ良いと思うアーティストはいたけど、みんな服装はもっとラフだったので、ファッションに影響を受ける感じではなかったかな」
- そういえば、〈NEEDLES〉の2011年秋冬コレクションでは、イメージブックにイギリスの音楽だけで編まれたプレイリストが掲載されていましたね。今名前が挙がったアーティストたちの曲も選ばれていて、音楽好きな清水さんならではの表現方法だと思いました。
- 「コレクションのBGM的なイメージで選曲したものですね」
- 「あれは、すごく良いプレイリストでした」
初めてのロンドン旅行、
初めてのイギリス別注
80年代にアメカジブームを牽引していた渋谷のセレクトショップREDWOODでスタッフとして出会った二人は、清水が1988年に立ち上げたNEPENTHESでふたたび合流する。その後、清水が日本、鈴木がアメリカという体制で知られざるメイド・イン・USAブランドやデザイナーズ・ブランドを次々と買い付け、独自の商品ラインナップで店を軌道に乗せていく。そして、さらなる刺激を求め、二人は初めてロンドンの地を踏む。
- お二人はインタビューなどでアイビールックや『Made in U.S.A catalog』を見てアメリカのファッションに目覚めた話をよくされていますが、最初に注目したイギリスのブランドや洋服は何でしたか?
- 「若い頃によく着ていたのは、〈GRENFELL〉と〈BURBERRYS〉のコート。日本では“ステンカラーコート”と呼ばれているものですね。あとは、カントリースタイルも好きでした。ちょうど東京に出てきた頃、チェンジポケットがついたハリスツイードの乗馬用ハッキングジャケットに、〈MARGARET HOWELL〉のシャツとディナージーンズを合わせて、足元は〈TANINO CRISCI〉のジョドファーブーツを履くスタイルが当時一番オシャレだった人たちの間で流行っていたんですよ。自分もシーアイランドコットンのシャツをデッドストックで売っている店を見つけて、彼らの着こなしを真似していました」
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<ENGINEERED GARMENTS> x <BARBOUR> GRAHAM from 2018 Fall Winter Collection
- 「僕は〈BARBOUR〉かな。ただ、オイルドジャケットの存在自体は高校生の頃に知ったんだけど、学生には値段が高かったし、オイルも気になったのでなかなか買えませんでした。あの頃の〈BARBOUR〉には今の3倍くらいのオイルが使われていたんじゃないかな。もうベッタベタでしたよ」
- 「当時はまだ街で〈BARBOUR〉を着ている人はごく一部だったし、混んでる電車に乗ると明らかに嫌な顔をされた(笑)」
- 「清水さんは〈CROLLA〉のアイテムもよく着てましたよね。1981年頃にできたブランドだったと思うんだけど、インドの刺繍生地でドレスシャツを作ったり、エスニックな素材や柄をオーセンティックなイギリスのファッションに取り入れててすごく面白かった」
- 王道をベースにしつつ、柄やディテールの仕様で斬新なアレンジを加えるというスタンスは、その後のお二人の服づくりにも通じるところがありますね。
- 「そうですね。その頃のロンドンからはいろんな新しいデザイナーが出てきたけど、僕が特に好きだったのが、ヴィヴィアン・ウエストウッド、キャサリン・ハムネット、ポール・スミス。3人ともイギリスの伝統的なスタイルをベースにしながら、自分だけのスタイルで遊んでいるのがカッコ良かった」
- 「自分も大器も、やっぱりそういうファッションが好きなんだろうね」
- お二人が初めてロンドンを訪れたのは、いつですか?
- 「僕が先で、たぶん1991年だったと思います。その頃はニューヨークに住んでいて、たまたまロンドン行きのチケットが安かったんですよ。たしか3泊4日のホテル付きで300ドルくらい。それで軽い気持ちで行ってみたら、すごく気に入ってしまって。英語がまったく英語に聞こえなかったり、大変なこともいっぱいありましたが(笑)。それで『清水さん、これからはロンドンの時代ですよ!』ってひとりで盛り上がって、翌年にまた行ったんです。それが1992年の11月の終わりで、ちょうどフレディー・マーキュリーが亡くなった日だったんです。雪が降ってて、街のいたるところでクイーンの音楽が流れていたのを今でも覚えています。清水さんは、そのすぐあとに一緒に行ったんですよね」
- 「そう。1993年でしたね」
- REDWOOD時代やNEPENTHESを始めてすぐの頃は、ロンドン未体験だったわけですね。
- 「その頃はアメリカのこともまだそれほど深く知っているわけではなかったので、とにかくアメリカでの買い付けが面白くて仕方なかったんです。なので、もちろんイギリスの新しいファッションも意識していたし、好きなブランドもあったけど、実際にロンドンに行ってみようという気にはならなかった」
- 「ただ、REDWOODにいた頃から日本に来たイギリスのブランドの人と会ったり、仕事自体は結構していたよね」
- 「たしかに。〈GYMPHLEX〉とか、いくつかのブランドをすでに取り扱っていましたね」
- 実際にロンドンを訪れてみて、特に印象に残った店やブランドは?
- 「やっぱり、サウスケンジントンにあったKENSINGTON MARKETかな」
- 「あとは、その向かいにあったHyper Hyper。面白い服を作る若手デザイナーたちが集まって自分たちで小さい店を出していたから、いくつかのブランドとは直接交渉してバイイングもしました。たとえば、50'sっぽいニットを作っていた〈ROCACHA TAILORING〉とか」
- 「ありましたね。あと、今も続いている〈OLD TOWN〉とか。1996年頃に来たときには、ポートベローとかカムデンあたりの古着屋も結構廻りましたよね」
- 「それはバイイングというよりも、自分たちが作るもののネタ探しが目的でした」
- 「アメリカとは扱っているものは違って、古着屋もすごく面白かった。そういえば、ポートベロー・マーケットでポール・ウェラーを見かけたことがありましたよね」
- 「あったあった。大器は握手して欲しそうにしてたんだけど、店に入っちゃったので外からずっと眺めてて。結局『ダメだ、行けない……』って諦めてた(笑)」
- 「その後悔があったおかけで、のちにリバティでレディオヘッドのトム・ヨークを見かけたときには迷わず話しかけることができました(笑)」
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Current collab. shoes with〈TRICKER'S〉, The two on the left is made for <NEEDLES> while the rest is designed by <ENGINEERED GARMENTS>
- 「で、そのあとくらいからノーザンプトンにあるシューズメーカーの工場とか、小さなニット工場にも行くようになって、バイイングと並行して徐々にイギリスでも別注を企画するようになったんです」
- イギリスで最初に作った別注品は?
- 「うーん、靴だったかな……。かなり昔の話なので、もう忘れちゃったけど(笑)」
- 「たぶん〈TRICKER'S〉だったと思います。たしかラスベガスのシューズショーで最初にオーダーして、そのあと自分たちで直接コンタクトを取って別注のお願いをしに行ったんじゃなかったかな。僕も記憶が曖昧だけど(笑)。まだ〈ENGINEERED GARMENTS〉を始める前の話ですね」
- その頃、日本にはすでに〈TRICKER'S〉を扱っている店はあったんですか?
- 「いくつかあったけど、別注を始めたのは、うちがかなり早かったと思います。あと、扱うモデルも他の店とは少しテイストが違っていました。当時はカントリーシューズが人気だったけど、うちはスウェード素材のものを扱っていたし、途中からはクレイジーパターンやアシンメトリーのシリーズも別注するようになったので」
- クレイジーパターンやアシンメトリーはインラインにはなかったわけですが、最初に提案したとき、〈TRICKER'S〉サイドはどういう反応でしたか?
- 「意外にも喜んでくれたんですよ。実際、すぐに工場までできるかどうかを聞きに行ってくれて、あっさり引き受けてくれました。たぶん〈TRICKER'S〉も作るのを楽しんでくれたんじゃないかな」
ロンドンオフィスを設立し、
バイイング・別注を本格化
NEPENTHES LONDONの誕生に先駆けること約20年。NEPENTHESは1990年代の後半から一時期ロンドンにオフィスを構える。現地に拠点ができたことで、イギリスのブランドやファクトリーとの関係は、より密なものとなっていく。
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<NEPENTHES LONDON> Shirt made in the past by <RAYNER & STURGES>
<NEPENTHES LONDON> Sheepskin coat made in the past by <WESTED LEATHER>
- ロンドンにオフィスを構えることになった経緯を教えてください。
- 「REDWOODでバイトをしていた知り合いがロンドンに移り住んだので、ロンドン駐在員的な立ち位置でバイイングの手伝いなどをしてもらうようになったことがきっかけでした。それと同時に〈NEPENTHES LONDON〉という新たなレーベルも立ち上げて、イギリスでの別注やダブルネームの企画が徐々に増えていったんです」
- 「NEPENTHES LONDONができた頃は1ヶ月に1回くらいのペースでロンドンに来ていた気がします。当時はチケットもそれほど高くなかったし、オフィスがあるのでホテル代もタダでしたから(笑)」
- 「特に力を入れていたのは靴ですね。〈TRICKER'S〉以外にもイギリスのほとんどのシューメーカーに別注しましたし。アメリカのブランドもモカシンやウエスタンブーツは良いけど、ドレスシューズやカントリーシューズはやっぱりイギリスが本場ですから。それに、日本でアメリカ製のワークブーツを扱う店が増えたこともあって、うちは靴に関してはイギリスやヨーロッパのブランドで独自のカラーを打ち出そうと思ったんです。それには別注が一番伝わりやすいかなって」
- 靴以外には、これまでにどのような別注企画がありましたか?
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<NEPENTHES LONDON> Meshed Belt made in the past by <ANGLO LEATHER>
<ENGINEERED GARMENTS> B2B Jacket from 2014 Fall Winter Collection
- 「〈RAYNER & STURGES〉のシャツは、既存のデザインをアレンジして〈NEPENTHES LONDON〉とのダブルネームで出しました。〈WESTED LEATHER〉に頼んでライダース風のレザージャケットやシープスキンのショールカラーコートを作ったこともあります。そのときは、わざわざ自分たちですごい田舎にあるシープスキン屋にも行きましたね」
- 「アウターだと〈MONTGOMERY〉とダッフルコートも作りましたよね」
- 「あとは、ガーンジーセーター。小物だと〈ANGLO LEATHER〉のメッシュベルトとか、今も扱っているクイックリリースベルトですね」
- イギリスでいくつかの別注品を作ってみて、アメリカとの違いを感じた部分はありましたか?
- 「そこまで大きな違いはなかったですが、イギリスのほうが小規模なブランドや工場が多かった分、細かい仕事までしっかりとやってくれる気はしたかな。ひとりの職人が最初から最後まで仕上げるベンチメイドの工場も多かったですし」
- 「靴を別注するとして、アメリカだと最低オーダーが120足か144足というブランドが多かったのに対して、イギリスでは10足くらいでも引き受けてもらえたんですよ」
- つまり、別注品はアメリカよりもイギリスのほうが作りやすかったわけですね。
- 「そうですね。自分たちが作りたいものを小ロットでオーダーできたので。ただ、そのかわりに値段は高かったですが(笑)。まあ、多少値は張っても好きなものを思い通りに作れることは、まだそれほど店の規模が大きくなかった自分たちにとってはとても有り難いことでした」
- 〈NEEDLES〉とイギリスの関係で言えば、先程も話題に出た2011年秋冬コレクションでは、イメージブックの撮影を全編ロンドンロケで行われていました。
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<NEEDLES> Duffel Coat made with a leopard pattern blanket from 2011 Fall Winter Collection
- 「何か特別な理由があったわけではなくて、単に気分的なものだったんですが(笑)。ただ、あのときはヒョウ柄のブランケットでダッフルコートを作ったり、それまでのコレクションと比べてイギリスっぽいアイテムが多かったこともあって、だったらイメージブックもロンドンで撮影しようということになったんです」
- 〈ENGINEERED GARMENTS〉でも、たとえばB2Bジャケットのようなブリティッシュスタイルのアイテムをこれまでにいくつか作られています。大器さんにとっても、イギリスのトラディショナルなファッションは常にインスピレーションソースとなっているのでしょうか?
- 「それはありますね。特に好きなのがイギリスのカントリースタイル。コーデュロイ、ツイード、ワークブーツみたいな世界観ですね。アメリカにも同じようなものはあるし、ライフスタイルもほぼ一緒なんだけど、イギリスで作られたアイテムはちょっと違っていて。アメリカはもっとラフで、スポーティーな感じなのに対して、イギリスはシャツにネクタイしてハンティングジャケットを着るようなスタイルが主流と言うか。その違いが面白いんですよ」
2019年2月、海外二店舗目となる
NEPENTHES LONDONがオープン
2019年2月15日、ニューヨーク店に続く海外二店舗目のNEPENTHES LONDONが、ロンドンのユーストンにオープンした。場所は1822年に建築家トーマス・キュビットによって設計されたショッピング・ストリート、ウォーバーン・ウォークの一角。シックな色味で統一され、穏やかな空気が流れる店内では、全ブランドから選りすぐられた最新のアイテム群とともに、タイムレスな美しさを宿すオリジナル・オブジェのシールドボトルプランツも展示。ジョージ王朝時代の面影を今に残す通りの雰囲気に溶け込みながら、しかし同時に揺るぎない“NEPENTHESらしさ”が確かな存在感を放つ空間となっている。
- ロンドンに店を出すという構想は、いつ頃から考えられていたのでしょうか?
- 「大器とはもうずっと前から話していたよね。いつかはニューヨークとロンドンに店を出したいって」
- 「そうですね。日本だけじゃなくて海外でも店を持ちたいという話は、自分たちでブランドを立ち上げる前からしていたと思います」
- 実際に出店を決意されたのは、やはり30周年というひとつの節目を迎えたことが大きかったのでしょうか?
- 「大きかったと思います。それに最近では〈ENGINEERED GARMENT〉に続いて〈NEEDLES〉も段々と海外で知られるようになってきたので、ロンドンに店を出すなら今がちょうどいいタイミングかなって。ただ、正直に言えば、あれこれ考え抜いた末に決めたわけではなく、『あ、ロンドンで店をやろう』とふと思い立ったんです。NEPENTHES NEW YORKを作ったときも、大器がたまたま良さげな物件を見つけてきて『いいじゃん、やろうよ!』って感じでしたし。なにか新しいことを始めるとき、そんなふうに気持ちが一気に盛り上がる瞬間があるんですよ」
- ユーストンという場所を選ばれた理由を教えてください。
- 「ロンドンに来たときは、20年以上前から大体いつもこの辺りに泊まっていたので、ユーストンには馴染みがあったんです。とはいえ、最初からこのエリアに決めていたわけではなく、店を出すことになっていくつかの街を廻ってみたんですが、いまいちピンと来なくて。最終的にはホテルの近所を散歩していて、この通りが良いなと思ったら運良く空き物件が出たので、ここに決めました」
- 建物の雰囲気や広さなど、NEPENTHES LONDONの具体的なイメージがその時点ですでに清水さんの中にあったのでしょうか?
- 「それも特にはなかったです。極端な話、路面店じゃなくても良かったですし。ただ、ロンドンの中心から外れていて、近くに洋服屋がない場所が良いなとは思っていました。日本の店舗やNEPENTHES NEW YORKと同じように、たまたま前を通りかかった人がふらっと入ってくるような店ではなく、NEPENTHESのことを理解した上でわざわざ足を運んでもらえる店にしたいと思っていたので」
- 「最初に作った店も、まわりには何もない場所でしたもんね」
- 「そもそも人がまったく歩いていなかった(笑)」
- 「“ここで本当に大丈夫なんですか!?”って、いろんな人たちから心配されましたよ(笑)」
- NEPENTHES LONDONは日本で新しい店を作る以上に大きなチャレンジだと思うのですが、そこでも自分たちのスタイルを貫けたのは、NEPENTHESの世界観が海外でも通用するだろうという手応えを感じていたからなのでしょうか?
- 「そうですね。ニューヨークに今の店を出したときには、すでに海外でもやっていけるという自信はありましたが、今は、よりその気持ちが大きくなっています」
- 「僕もNEPENTHES NEW YORK以降は、条件さえ整えば、アメリカであろうがヨーロッパであろうが自分たちの店を作れると思っていました。結果的に、海外で2店舗目を作るまで10年くらい間が開いちゃったけど。だから、清水さんからロンドンに新しい店を出すって聞いたときもまったく不安はなかった」
- 「もしかしたら、ロンドンでは今までのやり方が通じないかもしれないけど(笑)。でも、まあ、たとえそうだったとしても、ロンドンのど真ん中に店を出して失敗するよりかは、うちっぽいかなって」
- 「清水さん、まだオープンしたばっかりですから(笑)」
NEPENTHESのこれからのこと。
そして、二人にとって“店”とは―
ロンドン出店というビッグプロジェクトを終えた今、道なき道をともに切り拓いてきた30年の月日に思いを馳せつつ、二人の目にはどのような未来が見えているのだろうか。最後に、変わらないために常に変わり続けてきたNEPENTHESのこれからについて聞いた。
- 今回ロンドンに新たな拠点ができたわけですが、NEPENTHESの次のステップとして考えていることがあれば教えてください。
- 「個人的には、もう少し店を増やしても面白いかなって思っています。ロサンゼルスやパリに出店するのか、もしくは日本国内でこれまでとは違ったタイプの店を作るのか、具体的にはまだ何も決まっていませんが」
- 店舗を増やすことはリスクも伴うと思うのですが、清水さんにとっては、新しく店を作ることにはそれ以上の楽しさや歓びがあるということでしょうか?
- 「自分たちにとって、店は原点であり、今もすべての基本なんです。最初はセレクトショップとして直接買い付けたインポートものを置いていたけど、だんだんと他の店でも同じようなものを扱うようになってきたので、オリジナルのアイテムを作るようになったわけですよ」
- つまり、お二人の中では、まず最初に店があり、それを構成する要素のひとつとして自分たちの作る服があるという順番なわけですね。
- 「もちろん卸も大切だけど、自分たちの店では洋服だけじゃなくて、NEPENTHESの世界観をまるごと表現できるわけで。そういう意味で、店はずっと変わらず重要なものなんです」
- お話を聞いていて、誰よりもお二人がNEPENTHES LONDONのオープンにワクワクされているのが伝わってきました。
- 「今後イギリスやヨーロッパの人たちからどのような反響があるのか、すごく楽しみです。それによって、NEPENTHESや自分たちのブランドを、これまでとはまた違った視点で見ることができるわけですから」
Text : Daisuke Inoue
Translation : Aya Takatsu
Photography : Akira Yamada
Profile
清水 慶三 / しみず けいぞう
1958年、山梨県甲府市生まれ。NEPENTHES代表、〈NEEDLES〉デザイナー。
鈴木 大器 / すずき だいき
1962年、青森県弘前市生まれ。NEPENTHES AMERICA INC.代表〈ENGINEERED GARMENTS〉デザイナー。