- 30周年を迎えた率直な感想を聞かせてください。
( KS / 清水慶三、 DS / 鈴木大器 ) - もともと自分がやりたかったことのイメージがあったんですが、この30年で、その姿にネペンテスがだいぶ近づいてきたように思います。
- 僕は予期せぬことばかりが起きたという感覚が強いですね。あと、年をとったなあと思います(笑)。あっという間だったけど、本当は30年って長いんですよね。30年でこんだけ変わるかなと(笑)。会社もそうだし、自分自身もそうだし、最初はこういう感じになるとは想像してもいなかったです。ある意味、よくこの形に転んだなと、ラッキーだったなと思いますね。
- 大器さんが清水さんと出会ったのはいつですか?
- 1982年、20歳の頃ですね。清水さんが働いていていた会社にバイトで入って、その頃はほとんど学校に行ってなかったから、週に5、6回は働いてました。最初は「怖っ」っていう印象でしたね(笑)。バイト初日に飲み会があって、そこで初めて会ったんです。どんな話をしたかは忘れてしまいましたが、何しろ「お前、誰だ?」って言われたのを覚えてます(笑)。その頃、清水さんは眼鏡をかけてなかったですね。髪の毛も長かったし。
- その頃、清水さんは大器さんにどんな印象を持ちましたか?
- 自分はそのとき24歳くらいだと思いますが、見た目の印象としては細いやつだなあと(笑)。でも、着ているものが分かったから、それを見てなんかちょっと変わった感じのやつが入って来たなと思いましたね。その頃だと特に、全身インポートで固めた感じの人ばかりでしたから。
- 普通のチノやBDシャツのようで、見た目はそんな風には見えなかったと思いますが、〈COMME des GARÇONS〉ばかり着ていたと思います。
- 清水さんが会社勤めから独立しようと思ったのはなぜですか?
- 割と早いうちから、30歳には独立したいなあと考えてたんです。会社に勤めてしばらくした頃には店を任されるようになり、ある程度のノウハウも身についてくると、より目標が具体的になりました。自分でやるときには、アメリカ一辺倒じゃなくてもっとヨーロッパ物もミックスしたりしてやっていきたいなあと思ってました。
- 大器さんは清水さんが独立することを知っていましたか?
- 清水さん本人からそういう話を聞いていたから、もちろん知っていました。それがいつなのか時期の問題はあったけど、清水さんが自分でやるときには、呼んでくださいと言ってたんです。冗談交じりではあったけど、「誰かがアメリカに行く必要があれば、俺が行きますよ」という話もしてましたね。
- 実際にそれが実現したのが1989年。出会ってから7年後にして清水さんが日本、大器さんがアメリカという体制が始まったということになります。最初はどんな仕事のやり方をしていましたか?
- ボストンにアパートを借りて住んで、東京の清水さんとの連絡は、電話とファックスでしたね。当時はファックスが通信手段としては最先端の時代でした。
- 基本的には前の仕事の経験から、モカシンだったら産地はメイン州だとか、ワークブーツだったらミネソタ州、ウェスタンブーツだったらテキサス州だとか、そういう知識はすでにあったんです。当時はインターネットなどもない時代ですから、まずはその街に一緒に入って、イエローページをめくって仕事になりそうな場所を巡ったり、ローカルの古着屋などで情報を拾って、工場や物を見つけていましたね。
- 大器さんはその後、ボストンからニューヨークへ移りました。それはなぜですか?
- ボストン時代の途中から、様々なブランドと継続的な仕事をするようになってきたんですが、地方にはそういうブランドのセールスレップしかいなくて、サンプルも少ししかなかったんです。全てを見るためには、結局ニューヨークのショールームに行ったりする必要があったんですね。そうなってくると、ニューヨークに住む方が手っ取り早かったんです。
- 当時アメリカの各都市には、いろんなブランドのショールームが集まったビルや催事場があったんです。年中開催しているトレードショーのようなもので、ニューヨークだとエンパイア・ステイト・ビルディングの中でした。そういうところに足を伸ばす日本人は、まだほとんどいない時代でしたね。
- その後、サンフランシスコに移ったのはなぜですか?
- 実はもともと、もしアメリカに行くなら一番住みたかったのがサンフランシスコだったんです。ニューヨーク時代にだいぶ仕事ができるようになってきたから、そうなるとサンフランシスコでも出来そうだなと思ったんです。31歳のときですね。当時扱っていた〈MMSW〉〈THINK TANK〉〈JOHNSON LEATHER〉などの主なブランドが、サンフランシスコをベースにしたブランドだったのも大きかったですね。サンフランシスコでは、オフィスと店を合わせたスペースを持ちました。
- それらのブランドは、ほとんど現地の店などで見つけたもので、その横のつながりから〈ONE BY TWO〉というブランドとも出会って、一緒に店をやってみようという話になったんです。
- その店は、ネペンテスの商品は置いてあるのだけど、ネペンテスではないというか。共同運営という形にしたことで、ネペンテスらしさを表現するのは難しい部分がありました。そして、だんだんと100%うちの店をやってみたいなあという思いが強くなってきましたね。
- その流れから、またニューヨークに戻って店を開けるということになったんですね?
- 清水さんと話して、やっぱりどうせ店をやるのであれば、ニューヨークの方が良いという結論になったんです。店を開けた場所はソーホーのサリバン・ストリート。店の裏に事務所スペースを持ちました。当時はまだソーホーがかっこいい時代、だけどあんなに筋によって差があるとは思わなかった(笑)。まだうちのことを誰も知らなかったし、流行や時代的な難しさもあって、結局長く続けることはできなかったけれど、色々なことを試しました。やれる失敗はすべてやったという感じです(笑)。だからこそ、今のニューヨークの店はうまくいったんだと思ってます。
- その店を一旦クローズした後、〈ENGINEERED GARMENTS〉はブランドとしてニューヨークで大きな成長を遂げました。その頃を振り返ってみてどう思いますか?
- スタートした頃は、街で誰かが自分たちが作ったものを着てるのを見たら、追っかけて行って握手したいくらいな気持ちでしたね(笑)。バイヤー向けの展示会で、一角を占めていただけだったラインが、ちょっとずつ増えていって、展示会を別に開催することになったのをきっかけにフルコレクションを作ったんです。それが始まりですね。
- だんだんと生産のクオリティも上がってきて、ブランドに安定感が出てきたタイミングだったんです。そこで、まずは2004年にニューヨークのトレードショー「コレクティブ」への出展を決めて、次にイタリアのトレードショー「ピッティ」に出展し、そこで海外の理解者が大きく増えました。マーケットのタイミング的にも、ばっちり合ったなと思います。アメリカンクラシックみたいなものがファッションになったのは、〈ENGINEERED GARMENTS〉の存在が大きいと思っています。
- 〈ENGINEERED GARMENTS〉を始めるということ自体、大器さん自身も想像していなかったそうですね?
- 一時期、別注の延長として、自分たちのオリジナルを単発で作ったりはしてましたが、それだけで行けるとは思ってもいなかったですね。最初はそういうものは10%くらいなものだと思っていたけど、それがいまは、逆転どころか、ほぼそれが100%になっているというのは自分でも驚きです。
- 毎回のコレクション制作に追われる日々となり、大器さん自身もデザイナーとして注目されることにもなりました。
- ただただ、一生懸命やってましたね。単純に面白かったですね。こういう時があるんだなあと、自分で感じながらやっていました。若いときはやりたいことがあっても、やらせてもらえるチャンスがもらえなかった。その時期は知らないうちに色んなことができるチャンスに恵まれて、それを全部やった。ある意味、それまでに溜まっていたものが全部出たのだと思ってます。怖かったけど、楽しかったです。本当にできるかどうか分からないけど、やるしかない。特に〈WOOLRICH WOOLEN MILLS〉 のデザインを担当したときはプレッシャーが大きかったですね。自社の場合、失敗しても、まあ「ダメでしたねえ」でいいのだけど(笑)
- いや、それは困っちゃうけど(笑)
- そして、今のニューヨークの店を開けたのが2010年。再チャレンジとなるニューヨークの店を開けるときは、どんな店にしたいと思っていましたか?
- ニューヨークで一番の店にしたいと思ってましたね。そして、今でもそう思ってます。ニューヨークで一番なら世界で一番。スタッフには、「まだまだだけど、できることはあるよ」と話しています。そのために必要なのは、自分たちなりの独特なスタイルです。それを作り上げるために何をしたらいいか、そのアイデアが大事だと思っています。
- 二回目のニューヨークの店は〈ENGINEERED GARMENTS〉があれだけ認知されていたので、うまくいくだろうとは考えていました。年々とても良い感じに来ているので、これからが楽しみですね。
- そして、〈ENGINEERED GARMENTS〉と並び、近年〈NEEDLES〉が海外で非常に注目を集めています。ヒップホップのアーティストなど、ショービズの世界からの理解者が増え続けているこの状況を、お二人はどうのように考えていますか?
- これまでの、展示会ベースで見せたものが店で売れて注目されるという形とは、確かに全く違う広がり方かもしれません。しかし、自分自身そういうアーティストたちをいつも気にして見ているし、不思議ではないというか、実はR&Bやヒップホップの人たちには分かってもらえるだろうという気はしていました。もともと、ジャズマンとかの洒落た感じの方がファッションとして好きっていうか、かっこよさを感じるんです。
- やっと世界が清水さんに追いついてきたという感じ!(笑)。でも冗談じゃなく、本当にやっと皆が〈NEEDLES〉を分かってきたなあと思ってます。僕がやるのは、優等生的な正攻法っぽいものが多いんです。清水さんがやるのは、その逆の不良っぽい感じ。分かりにくいんだけど、かっこいい。いずれなるようにしてなると思ってましたね。
- 今より少し先を見て物作りをするっていうことはいつも意識していますが、コンセプトや物作りについての考え方は、基本的には最初からあまり変わっていません。ベーシックな物は変わらずに作り続けていて、トラックパンツもその一つ。15年位作り続けて、今とても人気があるけれど、元々は〈NEEDLES〉のスタイルを作るためにあるアイテムなんです。
- そして、もう一つのオリジナルブランド、〈SOUTH2 WEST8〉はテンカラという釣りをコンセプトにしたブランドとして生まれ変わり、新しい分野を開拓しています。
- 当初のL.L. BEAN的な方向性も大好きだったんだけど、ここ数年で「FISH AND BIKE」にコンセプトを特化したのがとても良かったと思います。そしてそれが時代に合ってる。コレクション自体も、ますます良くなってると感じています。
- 自分の好きな渓流釣りをテーマにするとき、もう少しカッコよく、楽しくできることはないかなあと考えたときに閃いたのが、「テンカラ」であり、「FISH AND BIKE」のコンセプトです。本格的な作りにしながらも、やっぱりファッションのプロだから、かっこ良さが一番大事。そのバランスの見極めが肝ですね。もちろん服が好きだし、釣りも好きだし、完全に仕事が趣味ですね(笑)
- 〈ENGINEERED GARMENTS〉、〈NEEDLES〉、〈SOUTH2 WEST8〉、というそれぞれ個性の違うオリジナルブランドが、30年の時を経てNEPENTHESを象徴する存在になりました。改めてこれまでの変化をどう受けとめていますか?
- 最初は確かに、海外からのインポート物を持ってきて、日本に紹介していくことがメインの仕事でした。ずっとそのつもりでいたし、今もそのつもりのところはあるのだけど(笑)、やるチョイスがこれしかなくなったからやってみたら調子が良くて、それ以外の仕事ができる時間がなくなってた、みたいな感じですね。そうしようとも思ってなかったですが、そうしないつもりもなかったです。割と自然な感じで動いていて、状況が変わってる最中には、自分では気付いていないんです。気付いたら、随分変わってたなという感じですね。
- インポート物を中心に扱っているけど、海外で見つからないものは自分たちで作ってくという感覚です。でも自分の中では、オリジナルとはいえ、できるだけ海外でモノ作りをしたいというのがあるんです。ですので、海外生産の比率はあまり下げずにやっていけたらと思っています。いまはちょうど半々に近いくらいじゃないかなと思います。来年にはロンドン店のオープンも控え、店舗の数も増えてくるので、ブランドと店の両方から、NEPENTHESを表現していきたいと考えています。
- ロンドン店はどのような経緯で決まったんですか?またそのコンセプトは?
- 近年、ヨーロッパ圏に取り扱い店も増えてきて、だんだんと地盤が固まってきました。もともと頭の中にあったロンドン店を実現するなら、この30周年のタイミングが一番かなと思って決めました。店は簡単に言えば、いまあるNEPENTHES全店のミックスのようなものになる予定です。ロンドンのユーストンという街にある古い商店街にオープンするのですが、外装は商店街のものをそのままに、クラシックな英国調の中に「和」の要素を入れたものを考えています。商品は全ブランドのミックスです。是非楽しみにしてください。
- このプロジェクトは本当に良いと思ってます。最初はやっぱりニューヨークけど、じゃあ次はとなったらやっぱりロンドン。こういう風にフットワーク軽く動けるのが、NEPENTHESの強みなんだと思います。清水さんは面白いことや新しいことが好きだし、あまりやってる人がいないことをやるのが良い。何しろ、誰よりも先にやるのが良いんです。
- 30周年を迎えた今、個人的にこれからやりたいことはありますか?
- 行ったことがないところに行ってみたいですね。例えば、アジアは全然行ったことがないから、とりあえず韓国と香港と台北。シンガポールもタイもベトナムも行ってみたい。京都に縁があって行くようになったら、その凄さに気づいたり。実は日本も行ったことがない街がたくさんあるから興味があります。もともと、旅行とか知らない場所を見て歩くのが好きなんですよね。買い付けをやっていたときは、いろいろなところへ行けたんだけど、今はそれも少なくなったし。たまに旅行に行くのは、とても頭の体操になりますね。
- 東京オリンピックを観る(笑)!それは冗談として、ある意味やりたいことをやりながらここまで来ているから、またやりたいことがあったら、それをやりたいように頑張るという感じでしょうか。個人的には、もう少し北海道をベースにしたいと思っているのと、自分も国内の街には色々行ってみたいですね。海外は仕事で色んなところに行きましたが、ある意味日本はほとんど行ってないんです。若いときは日本の地方にあまり興味は持てませんでしたが、年齢と共に感じるところがやっぱりあると思うんです。やっぱり結局、旅するのが好きなんでしょうね。
- 最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
- いつもご愛顧いただき、ありがとうございます。NEPENTHESは30周年を迎えますが、これからも今までと変わらず、“地味に派手に”やっていきたいと思いますので、引き続き今後とも何卒よろしくお願いいたします。
- あっという間に感じる30年間ですが、振り返ってみると長い試行錯誤の連続でした。何の実績もない僕らのお店に興味を持ってくれて、賛同し、支持してくれたお客さんがいたからこそ、ここまでやってこれたのだと、30年経ったいま痛感しています。これからも時代に迎合せずに、変わらない、だけど変わっていく、ネペンテス独自の進化に皆様どうぞご期待下さい。
PHOTOGRAPHY : AKIRA YAMADA
Profile
清水 慶三 / しみず けいぞう
1958年、山梨県甲府市生まれ。NEPENTHES代表。〈NEEDLES〉デザイナー。東京都渋谷区在住。
鈴木 大器 / すずき だいき
1962年、青森県弘前市生まれ。NEPENTHES AMERICA INC. 代表。〈ENGINEERED GARMENTS〉デザイナー。NY市マンハッタン在住。