- 清水さんが最初にトラックパンツというアイテムの存在を知ったのは?
- 中学生になったときですね。体育の授業で着せられた運動着。学年ごとに色が決まっていて、自分たちの学年は緑色。確かサイドラインは付いてなかったかな。日本ではまだ"トラックパンツ"とは呼ばれてなくて……。
- いわゆる"ジャージ"というやつですね。
- 山梨では"ジャッシー"と呼ばれています(笑)。ファッションの話でいえば、思い出に残っているのが、サッカー部の選手たちが練習のときに穿いていたジャージ素材のパンツ。太もも周りはややゆとりがあって裾が細いジョッパーズのようなスタイルで、ウォームアップパンツみたいなものだったんだけど。それを上級生の不良の人たちが、ウエストを落としてルーズに穿いている姿がすごくカッコ良かったんです。ただ、下級生は穿いちゃいけないという暗黙のルールが学校内にあって(笑)。なので、3年生になってから真似して同じような格好をしていました。
- それが清水さんにとって、初めてファッションとして着たトラックパンツだった。
- 80年代に日本でも大流行した〈adidas〉の"ATP"ジャケット。
- そう。でも、そのときはそれっきり。高校に入ってからはまったく穿かなくなった。高校1年生のときに雑誌の『メンズクラブ』で知ったアイビーから映画『アメリカングラフィティ』の50'sファッションにかぶれ、高校2年で『Made in U.S.A catalog』と出会ってからは、ネルシャツと〈Lee〉のブーツカットに〈CONVERSE〉のスニーカーを合わせるようなスタイルに夢中でしたね。
- そこから、ふたたびトラックパンツに注目するようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?
- 高校を卒業して東京に出てきてからですね。正確には、最初はパンツではなくジャケットの方だったのですが。ちょうどジョン・マッケンローやビョルン・ボルグといったテニス選手が日本でも注目を集めていた頃で、彼らが着ていた〈FILA〉や〈SERGIO TACCHINI〉のウォームアップジャケットが雑誌の『POPEYE』なんかで紹介されているのを見て、また興味を持つようになったんです。あとは、同じ時期に〈adidas〉から出た"ATP"という世界プロテニス協会のトレーニングウェアですね。特に好きだったのが、ネイビーに白のサイドラインが入ったもの。"ATP"は、のちに〈NEEDLES〉のトラックスーツを作ったときに、デザインのベースにしたもののひとつでした。今思えば、それらのアイテムが、トラックパンツをファッションとして強く意識するようになったきっかけだったかもしれません。
トラックパンツへの興味は
〈adidas〉の"ATP"が
はじまりだった。
13歳のとき、3歳年上の兄が持っていた雑誌でアメリカのアイビーリーガーたちの写真を見て、本格的にファッションに目覚めたという清水。では、初めてトラックパンツを手に取ったのは、いつのことだったのか?まずは若き日のトラックパンツとの出会いのエピソードから。
アメリカのスポーツウェアを
いち早くファッションとして
提案した「REDWOOD」時代。
東京の文化服装学院を卒業した清水は、海外からのインポートビジネスを得意とし、日本全国への卸売りや自社店舗を展開していた会社に入社。その2 年後、一軒の新店を任される。1982 年に渋谷のファイヤー通りにオープンした伝説的なアメリカンクロージング・セレクトショップ「REDWOOD」だ。アメリカで買い付けたさまざまなブランドのウェアやシューズをメインとした商品ラインナップに、やがて"ATP"のアイテムも加わるようになる。
- 「REDWOOD」のオープンからしばらくして、アメリカでRUN-DMCがデビューしたんです。彼らが"ATP"のトラックスーツをセットアップで着ているのを見て衝撃を受け、すぐに店でも仕入れました。もちろん、〈KANGOL〉のバルミューダハットと〈adidas〉のスーパースターも一緒に。たぶんRUN-DMCの影響でそういった今でいうヒップホップ的なアイテムを揃えたのは、東京では「REDWOOD」が一番早かったんじゃないかな。
- それはアメリカで直接買い付けをされていたのですか?
- そうですね。シカゴで行われていた"NSGA"というスポーツ用品の大きなトレードショーに足繁く通って。それこそ、日本人なんてまだ誰も来ていない頃から。海外でスポーツメーカーから直接商品を買おうとしても、どこの誰かも分からないアジアの一店舗には絶対に売ってもらえないので、まずは地域ごとに契約しているセールスマンと交渉して、さらにその地域の輸出代行業者を使って日本に転送する。そんなふうにして、 スポーツ業界とアパレル業界がまだ完全に住み分けられていた時代に、〈adidas〉のトラックスーツ以外にもLL COOL Jが履いていた〈TROOP〉とか、〈REEBOK〉とか、〈NIKE〉のエア ジョーダンとか、いろんなスポーツスニーカーも日本に紹介していました。
- その後、1987年に「REDWOOD」から独立された清水さんは、翌88年にNEPENTHESを立ち上げられて、1995年にはオリジナルブランドの〈NEEDLES〉をスタートされます。〈NEEDLES〉を始めた頃には、すでにオリジナルのトラックパンツを作る構想があったのでしょうか?
- 2008年に発売された最初の〈NEEDLES〉トラックパンツ。
- その頃はまだ具体的には考えていませんでした。ただ、作品名は思い出せないのだけど、「REDWOOD」時代に観たアメリカ映画の中に、家で〈adidas〉のネイビーのトラックパンツとTシャツを着ていた父親が、その上にテーラードジャケットを羽織って子どもの野球の試合の応援に行くシーンがあって。アメリカのスポーツウェアをいち早くファッションとして提案した「REDWOOD」時代。その姿がずっと記憶に残っていたんです。
- 〈NEEDLES〉っぽいトラックパンツの着こなし方ですね(笑)。
- 今考えるとそうですね(笑)。 あと、 これも〈NEEDLES〉を始めた後だったと思うのですが、〈COMME des GARÇONS〉が4本ラインのトラックパンツを出したことがあったんです。確か、赤に白のラインみたいなカラーリング。レディースだったので自分では着られなかったけど、それも良くて。そんないくつかの出来事があって、ぼんやりとではありますが、自分もいつかああいう感じのものを作れたら、とは思っていました。
バークレーの古着屋で見つけた
子供用のトラックスーツ。
この大人版を作ろう、と思った。
2008年春、〈NEEDLES〉から初めてのトラックパンツがトラックジャケットとともにリリースされる。程よい光沢感のあるポリエステルのジャージ素材、太めのサイドテープ、センタークリース風のステッチといった特徴的な数々の仕様は、この段階ですでに採用されていた。
- 〈NEEDLES〉の立ち上げから10年以上が経った2008年の春夏コレクションで、初めてトラックパンツが登場します。
- 実を言うと、それ以前にも今のような蝶の刺繍や5本ラインのサイドテープではないのですが、〈NEEDLES〉で何度かトラックパンツを出したことがあって。最初のは、たまたま一般的なトラックスーツに使われているようなものよりもクオリティの高い裏起毛のジャージ素材を見つけたので、試しに黒に赤のサイドライン1本で作ってみたんです。そうしたら、「( プロレスラーの )橋本真也のコスチュームみたい」って言われちゃったりして(笑)。それ以外にも、いくつか作ってみたのですが、しばらくはシーズンでやったり、やらなかったりの繰り返しでした。
- なぜ2008年に現在のカタチで発売されることになったのでしょうか?
- その頃、頻繁にアメリカ出張に行っていて、たまたま入ったバークレーのテレグラフ・アベニューにある古着屋で子供用のトラックスーツを見かけたんです。そのときにピンと来て手に入れて。そうだ、こんな感じの大人版を作ろうって思ったんです。
- どこにそれほど惹かれたのですか?
- ブランド名は書かれていなかったし、 おそらく〈adidas〉の人気に便乗して随分前に作られたものだったと思うのですが、サイドラインの本数が5本だったんです。減らしてシンプルにするとかじゃなく、逆に3本から5本に増やしちゃう大胆さがいいな、と(笑)。そこに"ATP"のブランドマークみたいなワンポイントが欲しいと思って、映画の『パピヨン』が好きだったり、グラフィック的に収まりも良かったりで、腰の部分に蝶の刺繍を入れることにしたんです。
- つまり、トラックパンツをきっかけにして、〈NEEDLES〉のアイコンである蝶のマークも生まれた!
- そういうことになりますね。
- ちなみに、そのときの色の組み合わせは?
- 黒にパープルのラインと、原型になった子供用のものと同じバーガンディーにイエローのラインの2色展開でしたね。トラックパンツの色を決めるときに、常に意識しているのは「スポーツウェアっぽく見えない」ということです。これまでに自分でも覚えきれないくらいかなりの種類を出してきましたが、カレッジユニフォームやチームユニフォームでよくあるような定番の色合わせは、ほとんどやっていません。
- カラーリングの斬新さに加えて、サイドテープの太さや編み目の大きさも他のスポーツウェアにはない特徴ですよね。
- 確かにサイドテープの雰囲気は大事なポイントです。その古着屋で見つけた子供用のトラックスーツが、まさに今の〈NEEDLES〉で制作しているこういう感じのサイドテープを使っていたんです。通常のスポーツウェアに使われているような高速の編み機だと、もっと編み目が詰まった、サラッとした全然違う雰囲気のものになりますが、これはかなり古い機械でゆっくりと時間をかけて編んでいます。なので、こんなふうにニット感のある目の粗さが出るんです。このなんとも言えない古臭い感じがいいですよね。ちなみに、その編み機は日本だと今お願いしている工場に一台しかなくて、もしそれが壊れたら、同じものはもう二度と作れなくなってしまうかもしれません。
作りたかったのは、
ジーンズの代わりになる
"新しい定番パンツ"。
偶然の出会いから生まれた〈NEEDLES〉のトラックパンツだったが、清水の思い入れの深さとは裏腹に、世間の反応は期待したものではなかった。
- 2008年に〈NEEDLES〉のトラックパンツが発売されたとき、反響はいかがでしたか?
- 実はまったくダメでした(笑)。特に話題になることもなく。
- でも、そこからはコンスタントにリリースするようになったわけですよね。
- 継続して作るようになったのは、自分が穿きたかったから、というのが一番の理由ですね。あと、これはその前からずっと考えていたことでもあるのですが、ジーンズの代わりになるような新しい定番パンツをいつか作りたいと思っていて。それが、自分にとっては、このトラックパンツだったのです。
- 実際、ご自身でも愛用されていたのでしょうか?
- 大袈裟ではなく、つい最近まで10年間くらい、本当にほぼ毎日トラックパンツを穿いていました(笑)。革靴と合わせたり、クロッグと合わせたり、トップスはカバーオールやテーラードジャケットと合わせたり。みんなにこんなふうに着てもらいたいな、という思いも込めてですが、一度好きになったアイテムはいつもとことん付き合うところがあって。そうこうしているうちに、トラックパンツへの偏愛がお店のスタッフに伝染し、徐々に卸先のバイヤーさんにも伝染し。ようやく広く知られるようになったのが、最初のシーズンから7、8年経った頃。受け入れられるまでに、ものすごく時間がかかりました。
- 今ではその人気は日本にとどまらず、世界中に広がっていて、A$AP Rockyなどの海外の著名なアーティストもファンを公言しています。
- 決してこちらからアプローチして狙ってやっているわけではなく、すべてが自然発生的な現象です。特に音楽や映画からは常にインスピレーションを受けているので、ミュージシャンや俳優の人たちがパフォーマンスをするときに〈NEEDLES〉を選んで着てくれているということには、幸せを感じます。商品やビジュアルイメージを気に入ってくれて、それが自分たちも予想していなかった広まり方をしているのは、見ていて面白いですね。あと、単純にすごく嬉しい。実際、アメリカでもヨーロッパでも、ある時期から街中で頻繁に声をかけられるようになりましたね(笑)。この前もロンドンに行ったときに突然話しかけられて。「俺の友達が〈NEEDLES〉をめちゃくちゃ好きで、トラックパンツを10本以上持ってるぜ」って。
- Instagramでもさまざまな国の人が「#needlestrackpants」のハッシュタグをつけて着用写真をアップされていますが、日本でも海外でも色違いで何本もコレクションしている人がかなり多いですよね。2 ~ 3本持っている人はざらで、なかには10本以上所有している人も。それが他の服ではあまり見られない愛され方のように感じました。
- 一回穿くと癖になるんでしょうね。自分もそうでしたが(笑)。コットンのパンツやジーンズみたいに繰り返し着ても膝が出て形が崩れないし、生地の表面も傷みにくい。洗ってもすぐに乾く。なので、見た目的にも不潔な感じにならない。とにかくラクなんですよ。海外出張なんかのときには本当に重宝しています。
- しかも2008年から毎シーズン、平均して2~ 3 種類の新色を展開されていますが、まったく同じカラーリングはこれまでに一度もないそうですね。
- 毎回オリジナルの生地を生産していますし、色被りはないようにしているので、過去に同じカラーリングをリリースしたことはないですね。定番色の黒とパープルの組み合わせだけは何度か同じ色目で作っていますが、それでも生地は真っ黒じゃない濃い墨黒を使ってみたり、パープルのサイドラインもバイオレット寄りだったり、赤が強かったりと微妙に色合いを変えています。
- また、バリエーションの豊富さでいえば、2017年からはジャカード素材を使用したモデルも毎シーズンのラインナップに加わりました。こちらはクラシカルな総柄で、サイドラインが付いたモデルと比べて、よりインパクトのある仕上がりですね。
- あれは、70年代のアメリカのファッションスタイルで、日本では一部の若者の間で流行った「ニュートラ」というファッションスタイルをベースにしています。テーラードジャケットに総柄のジャカード素材で作ったLポケットのフレアパンツを合わせるのが定番のスタイルだったのですが、個人的にずっと好きで。その感じをトラックスーツに落とし込んでみたんです。
- Instagramを見ていると、最近ではこちらのモデルもすごくファンが増えているようですね。
- そうみたいですね。特に昔から〈NEEDLES〉の中でもちょっと尖ったアイテムが受け入れられやすい大阪では、今はジャカード素材の方が人気があるそうです。Instagramは私もたまに見ていますが、トラックパンツを世界各国の人が色々な楽しみ方をしてくれているのが分かって、本当に嬉しく思っています。
- 現在展開されている2021SSのジャカードコレクション。
トラックパンツは、
〈NEEDLES〉のコレクションを
組み立てる上での"軸"。
発売から今年で13年。誕生当初はストレートだけだったシルエット展開もナロー、ブーツカット、H.D.型と多彩になり、より自由な着こなしが楽しめるようになった。テーラードジャケットと合わせる人、アーミーコートと合わせる人、ライダースジャケットと合わせる人、ニットと合わせる人、シャツと合わせる人、フーディーと合わせる人、ミュールと合わせる人、ハイヒールと合わせる人、ビーチサンダルと合わせる人 ─。そして、清水の理想どおり、トラックパンツは多くの人にとって"新しい定番パンツ"になった。
- 〈NEEDLES〉では毎シーズン、かなりの数のアイテムをリリースされています。そのシーズンに出すトラックパンツの色は、コレクションの全体像を作り上げる際に、どのタイミングで決められているのでしょうか?
- 今ではいつも一番最初ですね。まずトラックパンツをどうするかを決めて、そこから他のアイテムを考えていきます。
- つまり、コレクションを組み立てる上での軸になっている。
- そうですね。コレクションの軸だし、昔は飛び道具的なものでしたが、今は世間のイメージ的としては〈NEEDLES〉を象徴するアイテムになっているだろうということを意識しています。
- トラックパンツを入り口にして〈NEEDLES〉の存在を知り、ブランドのファンになったという人も多いですよね。
- まあ、なにしろずっとやっていますから(笑)。でも、本当にその通りです。若い世代に〈NEEDLES〉を体験してもらうきっかけになってくれました。彼らは常識やルールに囚われず新しいものを受け入れてくれるので、一般的には挑戦的に思えるようなアイテムも自由に楽しんでくれていると思います。
- 『NEPENTHES in print』#14の発行に合わせて、直営店限定でタイダイ柄のトラックパンツがリリースされます。これまで〈NEEDLES〉ではさまざまなタイダイ柄のアイテムを発表されてきましたが、トラックパンツはこれが初めてですね。
- 〈NEEDLES〉もですが、タイダイはNEPENTHESを象徴する柄でもあるので、これまでのトラックパンツを振り返る特集にはちょうどいいと思って。
- 清水さんがおすすめするコーディネートは?
- そこは皆さんの好きな感じで着ていただければ。インパクトはありますが、実際に着てみると意外とどんなアイテムとも合わせやすいので。トラックジャケットとセットアップで着るのもいいと思います。最近は店にセットアップで来てくれるお客さんをたまに見るのですが、シンプルなのがそれはそれですごくカッコイイんですよね。私だと学校の先生っぽくなっちゃって、あんまり似合わないのだけど(笑)。
清水慶三:1958年、山梨県甲府市生まれ。NEPENTHES代表 /〈NEEDLES〉デザイナー。1988年にNEPENTHESを創業。1995年に自身のブランドである〈NEEDLES〉を立ち上げた。最近のお気に入りのトラックパンツは、「色は黒×パープル、型はレギュラーで、自分でリメイクして裾にゴムを入れてゆるくシャーリングしたもの」とのこと。