2週間前にiphoneをトイレに沈没させ、その一週間後にMacにコーヒーをぶっかけてしまい、
厄年でもないのに、次々と起こる災難に落ち込んでいた今日この頃です。会う友達に事情説明すると、ある人は「携帯やラップトップがないと私は生きていきえない」という人もいれば「たかが携帯にコンピューター、何十年前は存在すらなかったもの。ただのアクセサリーにすぎない」と、いう人もいます。ある人は、今年は彼女を含めて彼女の周りでたくさんの人が災難にあっているという。私もその一人だといわれた。笑 でもその他の人の災難をきいていたら、私の災難なんて本当にちっぽけな事だった。
携帯があった頃は携帯依存症かと思うくらい1日何時間も携帯を触っていました。これは神様のお告げだろうと友達に指摘され、納得と反省。
このネガティブエナジーをポジティブに変えようと試みました。普段携帯をいじっている時間を散歩したり、ピラティスしたり、読書をしたりしている。読みたい本は色々あったけど、久々に谷川俊太郎の詩集をもう一度読んでみた。
夏前に引っ越しをして、うちの隣には壮大な草原があるのですが、この草原を抜けるとレイトンストーンという駅があります。いつもは一番近い駅から電車に乗るのですが、お天気も最高だしたまにはルートを変えて少し歩く事にしました。
なぜかこの草原のど真ん中にある緑の椅子。不自然なのであえてここに座ってちょっとだけ読書。寒いけど気持ちいい。すると、62のソネット41「空の青さを見つめていると…」の詩が出てきて、今まさに私も空の青さを見つめながら読んでいます。でも空の青さを見つめていてもこんな素敵な詩は書けない。
彼の詩には星、空、宇宙、神っていう言葉がたくさん使われていて、どの詩もとても幻想的です。彼の詩を読んでいたら、携帯とかコンピュー ターとかどうでもよくなってくる。こんなに自然がある場所に引っ越してきて、今までこの公園を歩かなかった朝がもったく思えてきた。
でも携帯をボットンする前から、特に手で字を書かなくなったことを友達と話していて、だったら文通をしようと決めてから何通か手紙のやり取りをしています。手紙以外で普通にLINEでも話しているから、実際手紙に書く内容はあまりないけど、またそれが面白い。でも昔に使っていて未だに余っている便箋や封筒を選んで書く手紙はとっても新鮮です。しかも手紙に込められる愛情は格別です。
クリスマス前に起こったこの悪夢のような出来事は、今となってはそんなに大したことでもないように思えてきたけど、やっぱり友達が携帯を触っていると私も早く携帯を復活させたくなります。でももうすぐ新しい携帯が来る。新しい携帯を持った瞬間に元の生活に戻らないようにしないとね。
そうそう、レイトンストーン駅から地下鉄に乗るときに、改札までいく通路を歩いていると、ヒッチコックの映画の一場面がタイルモザイクで作られているものがたくさんあって、どうしてかなと思ったら、なんとなんとレイトンストーンはヒッチコックが生まれた街だったのです。こんなことも知らなかったなんて。携帯がなくなったことで、新しい発見があった。ありがとう神様。でも携帯があって発見できたこともたくさんある。なのでこれからはバランス良い生活をしていきたいと思います。
これが来年の抱負かな。何事もバランス良く。