忘れていたのか、しまいこんでいたのか
もうわからないんだけど
引き出しが開いてしまった。
涙があふれてしまった。
踊ってばかりの国の「boy」を聴いてしまったから。
涙があふれてしまったのは
ずっとずっと憧れていたからだ。
そうなりたくてもなれなかった自分を思い出したからだ。
曖昧で、不安定で、いつも張りつめていて
怒りとは少し違う爆発を、けっこう簡単に開く内側にもってるあの感じ。
友達と仲間、それ以外に向けるあの感じ。
未来があるのは知ってるけど
今日のいましか考えないあの感じ。
それはとても鋭くて危ういんだけど
びっくりするぐらいカッコよかったし
とてつもなくやさしかった。
自分たちの年代が最後だったと思うんだけど
鹿児島では、公立中学校に入学すると男子は全員坊主が規則だった。
自分は受験をして中高一貫の私立に入ったから
坊主にはならなかったんだけど
小学校の友達のほとんどは、そのまま地区の公立中へ行った。
頻度は減ったけど、家は近くだから会ったりしていた。
坊主頭の仲良したちは、いろんな話をしてくれた。
「サバイバルナイフを持って校長室にこもったら南日本新聞に載っちゃった」
「あの中学校の窓ガラス割ったの俺らなんだよね」
「先生を追いかけ回して最後は飛び蹴りでさ」
リアル尾崎豊じゃねえか、と。
あとはちょっとここには書けないようなことなので割愛するんだけど
鹿児島に入れなくなったヤツもいるし、あっちの世界に行ったヤツもいる。
でも、坊主頭の仲良したちは
「亜童はオレたちの希望みたいなもんだからな」
ことあるごとにそう言って、自分を置いていつもどこかへ行ってしまった。
いま思えば、坊主頭の仲良したちのあの言葉が
自分にフタをしてくれたのかもしれない。
東大クラス以外の生徒を無視するような先生がいる高校で
やっと自分がやりたいことを見つけて毎日絵を描きつづけて
家の事情で大学を受験できない、と知ったとき
半年間だけグレた(笑)ことがあったんだけど
その時も坊主頭の仲良したちが付き合ってくれた。
家に帰らずダラダラと過ごしながら
でもやっぱり
坊主頭の仲良したちにかけてもらったあの時の言葉が残っていて
振り切れない自分をしっかり自覚していた。
そうしてフタをしてもらったまま大人になった。
でも、フタの中身ってのは最初からなかったんだな。
自分には持ち得なかった感性に
そうなりたくてもなれなかった自分に
ヒリヒリしてかっこよかった坊主頭の仲良したちと過ごした日々に
涙が出るんだろうな。
清志郎さんの
「スローバラード」を聴いたときだって。
友部正人さんの「退屈は素敵」を読んだときだって。
しかし、踊ってばかりの国の「boy」。
こんなにえぐられたのは久しぶりだった。