「いいね!が増えすぎて何が本当に“いい”のか分からなくなってきている」
とある方のインタビューで聞いた話。
確かにそうだなと思った。
どんなことにも「いいね!」が軽やかに付けられる。
色んなところで「いいね!」が飛び交い
何でもかんでも「いい」になる。
そうして自分にとって本当に「いい」もの、大切なもの
心突き動かされるものが分からなくなる。
そんな自分は、日常会話の中で「いいね」を使う。
しかもけっこう高い確率で。
肯定する自分でありたいと思うからだ。
たとえマイナスと捉えられていることにも
「でもここがいいじゃん」と肯定する自分でありたいと思っている。
起こる事実としての物事には良いも悪いもないと思う。
ありのままに事実が存在するだけ。
どちらにするかは受け取る人次第だと思うのだ。
思い出されるは鹿児島で過ごした高校時代。
素晴らしい成績を残した友人を賞賛する者はおらず
「でもあいつはこうだった」などと
成績とは関係のないところをネタに盛り上がる人たち。
とても居心地悪かったのを覚えている。
だから遅く登校して早く下校する学校生活を送っていた(笑)。
つい最近も他人のうわさ話や批判を肴に酒を飲んだり
仕事のコミュニケーションを取る人を見て
いやーな気分になった。
言葉の中には言霊が宿っていると信じている。
汚い言葉を浴びせられた水は濁り腐り
きれいな言葉をかけられた水は透明できれいなままだった
という話を聞いて感動したことを思い出した。
僕たちの体は60%が水でできている。
うつくしく、優しい言葉を意識して使っていたいと思う今日この頃。
健康健康。笑って笑って。
今年もよろしくお願いします。