#56
2016年の瞬間を東京で迎え
元旦に故郷、鹿児島に戻りました。
鹿児島中央駅から歩いて10分ちょい。
「ニ中通り」という通りを歩きます。
焼き鳥屋さんで鳥皮の串焼きを買って
氷屋さんの隣にある花屋さんにおかんと出かけ
本屋さんで週刊少年ジャンプとプラモと文房具を買い
スポーツセンターに毎日通って泳いで
寿司屋に家族みんなで食べに行くのが楽しみで
そんな子供の頃のすべてが詰まったニ中通りに
「鹿児島市交通局」がありました。
毎年帰るたびに鹿児島の景色が変わっていくことに
少し慣れてしまっていた自分には、大きなショックでした。
交通局が移転、解体へ。
鹿児島を走る路面電車(僕らはチンチン電車と言ってます)と
市バスが一気に集結する広大な敷地に交通局はありました。
1912年から約100年、そこに存在したものがなくなってしまう。
容赦なく取り壊されて、何もなかったかのようになってしまう。
原風景がまた1つ、姿を消していく。
いつもは交通局の中に入ることはできなかったけど
暑い夏は「お化け屋敷電車」になったり「ビアガーデン電車」が走ったりして
交通局はちょっとしたお祭りの場所になりました。
まるで大きなプラモデルの中にいるみたいな気持ちになり
とても興奮したことをおぼえています。
お正月ということもあり、解体作業は休止中。
もう一度、大好きだった交通局の中に身を置きたくなって
こっそり吸い込まれるように潜りこみました。
ノスタルジーに浸りながらも
これはやっぱり財産だと思うし、老朽化という理由で全部ぶっ壊すだけじゃない
方法は必ず探し出すことはできるだろうし。
そんな時に襲ってくるのは自分の無力さ。
嘆くばかりでなく、自分が持っている力を使って
愛されるカタチをつくれる人になりたい。
これはいろんな都市に当てはまること。
自分はそんなことを仕事にしていきたい、強く思ったのでした。
自分をつくってくれた力強い鹿児島に、恩返しができる仕事がしたい。
そう強く思ったのでした。
最後にご報告があります。
昨年ローンチしたメディア「BEACON KYOTO」を
12月いっぱいをもって離れることになりました。
概念、思想、設計すべてゼロから作り上げたメディアを
離れるのは色々な思いがありますが
「京都」というニッポン人として誇れる街に潜り
右も左もわからないながら素晴らしい出会いに恵まれたことに
深く深く感謝をしています。
本当にありがとうございました。
そしてそんな自分に、作り上げたメディアに
まなざしを向けてくれた京都の方々に
恩返しをしたいと強く思っています。
そのために自分ができることを
懸命に考えて、イメージして動いていきたいと思っています。
2016年は始まったばかり。
これからです。
このコラムを読んでくれるみなさま、いつもありがとうございます。
たくさん心から笑えるうれしい1年になりますように。
1月というのに鹿児島は19度を記録。
秋空のような南国の夕暮れは、とてもとてもうつくしかった。